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犯罪結社の映画のかんそう

ヘッダ画像をお借りしています。映画ソーシャルネットワークの感想文です。

まずぼくは映画の事前情報を何があっても仕入れないようにしていまして、これがFacebook創業の話だということは知らなかった。

さらにそれがわかった時点で、例の内部告発によってザッカーバーグの株は語る労力も惜しいほど落ちていた。

したがいまして、これがFacebook創業時を書いた映画だとわかった時点でぼくの中にはある不安がめぐりました。ザッカーバーグを好きになってしまったらどうしようと。

それは思想の強姦でもあります。ただ仮に、信頼するに足り得ない対象を褒めちぎる映画にぶち当たってしまったのであれば、速やかに画面を閉じればいいでしょう。その覚悟でぼくはソーシャルネットワークを見た。

結果的に、ザッカーバーグやメタ社に対する好印象を抱くことにはつながらなかった。これは非常に良いことでした。

映画では、いかにザッカーバーグが卑怯でこすくてろくでもないかが克明に書かれていた。書かれていなかったらどうしよう?と上記の通り不安だった。

真実を書こうとすると、ザッカーバーグの悪事の描写は避けられないということなのでしょう。実在する演じられた人々によれば、フィクションが多いと言われていますが確かに過程においてはそうかも知れないがそれぞれが得た結果についてはどうやらマジっぽかった。

例えばエドゥアルドのスケであるチャイニーズ・アメリカンの奇行度合いとか、ショーン・パーカーがナンパした女のベッドの上で目覚めたりあたりはフィクションでしょうか。あれ?ザッカーバーグ周りのあれこれはフィクションに見えない。

ともあれ、法整備が行き届いていないことを良いことにはびこったIT犯罪の歴史の1ページを見ているような気分になれました。まさに仕様を利用して他に不利益を強要し、自己利益だけを受け取る現代インターネットインフラの縮図のようだった。

Facebookが社名を変えたのは、上記内部告発についての視線そらしに他ならないとぼくは思っています。SNS集客はしばらくインターネット依存でいいに決まってるが、仮想空間というブルーオーシャンに唾つけない理由なんてない。一石二鳥やんけ!的なことです……

出てくる奴出てくる奴「きさんら罪悪感を持ち合わせないで生まれてきよったんか」と思うような連中なので、最後に申し訳程度に追放されたエドゥアルドに対して同情するザッカーバーグが異様に浮いていて滑稽です。作者の「あっ……結構本筋でひどいことしちゃったカナ^^;許してちょんまげ」的情緒を感じます。

最後の最後のブラウザ更新描写なんて、未だに頭に精液が詰まっていることを示す行動でしかない。映画作者たちが真実の求道者であったことをぼくは誇りに思う。

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