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書籍「月ノさんのノート」:ばれ無し感想

2021/3/1に月ノ美兎さん著「月ノさんのノート」が発売されました。月ノさんは普段、リアルタイム配信プラットフォームなんかでYouTuberとして行動していることが多い人です(以下敬称略)。生身の人間ではないという特徴があり、一般流通する版元から一から十まで全部自分で書いた著書をリリースするのは今回が初めて。

個人的にはそれすらばれの範疇になり得る気がするため、エッセイ集とか日記とか敢えて形容していません。後述しますがその理由としてぼく自身まだ読み終わっていないためという事情もあります。

内容に関係のない部分で本書を読むためのBGMを挙げるとするのであれば、本来であればご本人のお歌を選出するのが適切なのかも知れませんが敢えて王道を避けるという意味でN.E.R.Dの Wonderful placeです。非常に似合うためフルアルバムでお買い上げになり、流してみると良い没入感が得られるのではないかと思っております。

定義

似た単語を使い分けるうちにややこしくなってはいけないと思い、何か堅苦しいですが(堅苦しい雰囲気の内容を書きたいつもりはありません)本文で使われる言葉の意味について定義いたします。

ノート:文房具屋なんかで売っている教育機関で学んだ内容とかを書き取るための紙束のこと。
note:このサイト(https://note.com)。
ドレッドノート:イギリス海軍Dreadnought級戦艦。5基の主砲が搭載され、戦艦2隻分に匹敵する能力を有す。第1次世界大戦前後の海戦に参加。「ド級」の語源。

堅苦しくならないようにとふざけを入れてしまいました。それだけ気分がAGAっているのかも知れません……

ばれ無し感想を書いた理由

題にもあるように、内容をそのままべらべら喋ってしまうということはしないつもりです。本の中に書いてあることは恐らく知的財産であり、商品として社会に流通しているのに、買わなくても得られてしまう当該商品内にしかないはずの情報をたとえ購買者とはいえ第三者が発表してしまうのは割ととんでもない問題であるように感じます。

とはいえ、読んでいるうちに「うわっ……すぐ読み終わっちゃいそうだなぁ」と思い、次の紙をめくりたいようなあまりめくりたくないようなお伝えしづらい気持ちで居ます。読書感想文という形式上勢いどうしても自分を語る感じになってしまいいかんともしがたい処です。

お伝え出来るか自信がないのですが、割とかなりの長時間、時間にしておそらくは何十時間(本気で計算したことはないためあるいは~何百時間)と換算できるほど、リアルタイムでその話している内容を見聞きしたことがある、言葉の節々を自分の人生の何割かに相当する時間分において浴びたことのある人間(仮想存在であるため人間と言い切ってしまうことにぼくは抵抗を感じる処ではありますが)から発される、紡がれる文を「読書」というたった1人で遂行する行為のもと閲覧する機会はこの先そうないのではないだろうか、かなり貴重な体験をしているのではないだろうかと捉えてしまった。

有名なゲーム「ドラゴンクエスト」に例えると、ピンチな局面でも再入手の機会がほぼない消耗品「世界樹の葉」や「エルフの飲み薬」(それぞれゲームの主人公たちの良くない状態を一気に回復させる効果があります)を簡単に消費できない、という思いです。

あるいはファイナルファンタジーでいうところの「ラストエリクサー」が同様に消費できないという例えの方が一般的でしょうか。

なんと表現するのが正しいでしょうか、いわゆるアイドルファン的な視線で彼女を見ていたつもりではなかったため、その一対一(1vs1)性に価値を見出して動悸しているわけではなく、さらっと読み流す程度の心構えでいいのだろうか、受け止める準備はあるのかという……そこまでは言いすぎかも知れませんし、あるいは悪い方向に期待し過ぎかも知れずあまり経験上宜しくないようにも思えますがそのような感情でいるため。

事前情報だけでnoteを書かせて頂いたほど楽しみにしていたのにも関わらず、気づいたら発売日となっており、気づいたらポストに入っていたためそのあっけらかんとした存在の訪れにまだぼくが戸惑っているのかも知れません。

ノートという媒体から読み取れる世界観について

外観なんかは取り扱いのECサイトを御覧頂ければ解ると思うのですが、スーパーやコンビニでも販売されている普通のノートを思わせる装丁に販促なんかの一部だろうと思われる美兎本人の絵が帯みたいになってついている状態……だろうと思っていました。

帯ではなくカバーなんですね。本人が発売前の自分のライブストリームでカバーと表現していたためそう受け取るのが自然かもしれないのですが、ぼくは黄色いカバー部分はいわゆる初版なんかに添えられた帯と思い込んでいました。

実際はそうではなく、その部分までひっくるめて商品。普通の漫画単行本でいうのであれば漫画本体と本来なら本体をすっぽり覆うカバーの上半分ぐらいが切り取られたものがカバーとして付随している状態でした。

ECサイトの見本でそのような状態となって閲覧できるようになっているのだから、当たり前かもしれません……

装丁

ともあれ見た目はCampusブランドの1種と思えるものです。巻末なんかに装丁なんかに関わられたデザイナーさんなんかにも触れられているとは思うのですが、上記の理由から何か革新的な挿絵かなにかを見てしまう危険を踏まえて確かめていません。

本来なら赤い背景に「Campus」というロゴが印字されている部分には「Nijisanji(MT)」の文字。これは美兎が所属する事務所のようなもの。MTはトレード・マークのオマージュで、MiToを表現したものでしょうか。

そして丁寧に7MM & 25L COMFORTABLE WRITING PAPER、NOTEBOOK FOR HIGH SCHOOL STUDENTS. の文字が小さく印字されています。今Campusブランドの現物が手元にないため確かめづらいのですが、はっきり高校生向けと記載されていることなんてあるのでしょうか……小売向け商品が購買層を自ら狭めるような行為はしないと思うため、おしゃれポイントかも知れません。

そして、ぼくは現物を開くまで何故か当たり前のように右から開いて読んでいく書籍であると思い込んでいました。ノートという形式なら左から進んでいくのは当たり前だろうに、そこいらの新書と同じようなものをイメージしてしまっていました。これは恐らく初めてこの書籍がリリースされることが明らかにされた際に内容がエッセイめいた感じになるというような軽い言及があり、そこでぼくが単純に直近で読んだ大泉エッセイを思い浮かべてしまったからだと考えられます。

実際は縦書きでなく横書きノートの罫線に沿って書かれた数学の教科書のような形式となっている、客観的に見れば恐らくどうでもいいと思えるだろう処と認識してはおりますが、割と度肝を抜かれた部分でした。この事前イメージと実際のギャップを埋める作業もその商品を面白くする一助……なのかも知れません。

Campusブランドについて

それにしても、商品仕様を購買前に消費者へ伝えるためにはあたり前のことかも知れませんが、何ミリ幅のスペースが何行あります、何ていう情報がノートの装丁には書かれているものなんですね。単純にノートを買う経験というものをしたことが無い方を探すほうが難しそうであると思うため、次に述べることもおおよそ一般的なのではないかと思うのですが、ノートを買う前にスペース幅と行数を気にすることなんてないように思います。

しかも数セットで安上がりに買う場合、中身をめくって確かめたりは出来ない梱包された状態であることが多い。極論を言ってしまえば表紙にうっすら引いてある線でなんとなく中身が推察できますね。

つまり仕様をビシッとCampusブランドのデザインの一部に過ぎないのかも知れません。月ノさんのノート(商品名)もそうなのでしょう。

またコクヨ公式サイトによると、今回のオマージュ元のバージョンは1991年夏にリリースされたものであることがわかります。

そちらから逆算すると、月ノさんのノートのターゲット層は1991年時点で高校生だった方々、現年齢45~49歳あたりの方々向けであることになってしまいますが、あまりにも単純計算すぎる気がするのでもちろんぼくの感想文は年齢層のターゲットとかは気にしないで書いております。装丁について、1991年版を基軸にした理由もノート内で書かれているのだとしたら楽しみですね。

もっとも個人経営の文房具屋……どころか駄菓子屋さんのような店舗で、埃をかぶった同バージョンのCampusが文具棚に売られているのを見たことがある記憶があり、いわゆる紙媒体が全盛期の頃、刷りに刷られて通常では思いもよらないような大量生産をされた版なのかも知れません。

どうせ目をつぶってでも売れるほど需要があるだろうとメーカーが大量に創る、同じ理由で小売が大量に買う、同じ理由で消費者が大量に買う……というプロセスを経て、Campusが扱われるあらゆる場所で在庫となり、あらゆる世代にとって一番馴染みのあるバージョンとなってしまったのかも知れない。

表紙の手書きについて

そしてノートの題名を記入する部分には「なんでもノート」、その上には緊急性および特殊性を示すようなシールがはられており、「忘れモノ 月 日 発見場所・メモなど:月ノさんのノート」と書かれています。太字部分は手書きに見えますが「なんでもノート」および商品表紙最下段に書かれた名前:月ノ美兎も手書き。

「ノートの題名を決め、名前を書いた人」つまり所有者と、「そのノートをどこかで拾い、拾得物情報を付与した(シールを貼った)人」は別人であるはず。

一見同じ字体に見えますが、シールとそれ以外の部分はよく見ると違う字体かも知れません(「ノ」の跳ね方等)。道理的にはそちらが正しいはずなため、そのように読み取るべきでしょうか。

しかしそのシールも少し右斜めに貼られていて、カバーを外した状態だとどれが本の題名かまるでわからないと言いますか、不意にこの商品が何も知らない人の眼前に置いてあったらガチ目に忘れ物であると思えるようにも感じられます。それを狙ったと著者本人がどこかで話していたような記憶もあります。真面目な方が表紙を一枚開いたら余計に信憑性が増しそうです(理由は控えます)。

内容について

※捉え方によってはばれを含んでしまう可能性があります。お気をつけ下さい。

深部になってきたため少しだけ内容に触れます。50P程も進んでいません。

フォントについて、ものすごく失礼な言い方になってしまうと思いますし、内容の芯部に触れてしまうため難しいのですが、フリーフォントなんかを配布されている方々はものすごく入念にデザインを注視してバランスなんかに何回も自己ダメ出しをして、世間にリリースしているんだろうなあと逆に思わされました。

そして文体ですが、非常に読みやすいです。編集側(or編集+リライター:単純に文体を整える専門家という意味)と美兎の間で相当綿密に、場合によっては相当な回数見直しが検討されたように感じます。

恐らく誰の手も入っていない美兎のnoteなんかを御覧になると解りやすいかも知れません。ぼくもそういった傾向があるかもしれませんが、話す時のように語るように書く文に落とし込むという面が抑えられているためです。

ちょっと極端な回を挙げてしまったかも知れません。逆にそれぐらいの打ち合わせをおこなわないと世間一般に発売する商品としての基準が満たせないということが伝わりました。

またぼくは何かをリリースした場合なんかにPAGE:024のようなことをしたことが有りませんでした。単純にお知らせを入れていないというのと、携帯電話とかに縛られる生活みたいなものに対する忌避感があるのかも知れません。望みすぎた思いが裏切られた時のショックに自分が耐えられないからという思いもあると思います。

PAGE:038は本人かと思ってしまいました。また以前、

という書き込みが為された際、そんなこと言ってどうせ自分は……!!!という思いを抱いたのですが、本当にアカウントを持っていないとは思わなかった。

また自意識過剰と自己愛ともまた違う、起と寝の境目みたいなものを意識した途端そうなってしまうという状態にはとても共鳴出来た気がします。無機物になってしまうのならそれはそれで仕方ないと思えるかどうかという違いはあるように思います。

この1/2の文量にするつもりだったのですが上手くいかなかった。またいずれ先を読む勇気が出たら続きについて書けたら良いなあと思います。

お読みくださりありがとうございました。

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