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Joker余滴「アーサーがミスった選択肢とは」

これは映画ジョーカーについての感想なんだけど、昨日5000字も自然に書いてた割にまだ思いつくことがあったので書いている。ヘッダ画像をお借りしています。


ジョーカーを見た観客が最初に思う

ジョーカーを見た観客が最初に思うのは、あるいはだんだん思うのは、「早くジョーカーになってこの腐った世界を破壊してくれ」というものだ。

それぐらいゴッサムシティとはろくでもない。ぼくは何度も言う通りマーベルについて微塵も知らないから、おそらく普段マーベルとは、といいますか"マーベルに内包されているゴッサムシティ"とは「いやそんな町あるわけねーからwwwwwwwwww」を観客に思わせるためにあるはずだった。極端にぶっ飛んでるおふざけ・シティでしかなかった。架空だから笑える。この映画としてのジョーカーが生まれるまでは。

ジョーカーで「実際にゴッサムシティで住む人々」の当事者であるアーサーがえがかれた瞬間、娯楽だったはずのマーベルの世界観とは見るも無残かつ凄惨なものと化した。

ぼくはジョーカーを映画として素晴らしいなとんでもねえな、でも周りに勧められるかどうかってどうなんだろうな、見てもらいたいとは思うものの、その人のテンションが下がってたり何らか傷ついてたりしたら絶対この話なんて受け入れられるわけねえよな、と思っていたが、アーサーの受けた哀しみは何らか心を動かしたい時に見るべきだと今でも思っている。

それまでのゴッサムシティとは「圧倒的正義位置」にいる連中つまりバットマンとか他知らないけど定型的なヒーローが暴力に対するカウンター暴力で破壊すべき街であった。しかしながらそこで一生懸命生きている人がおり、それがアーサーでした。アーサーはジョーカーになってしまった。すべての選択肢を間違えてジョーカーになってしまった。こんなに悲しいことがあるだろうか。

アーサーが間違えた選択肢とはなんだったのだろう?序盤からそれについて列挙していくことを考えたのだが、それしちゃったらなんかぼくがアーサーに対して粘着質な嫌がらせをしているみたいではないだろうか……

ヒース・レジャー

ぼくはジョーカーより前にヒース・レジャーのジョーカーをダークナイトで見ていたのだが、ジョーカーへの役作りをし終わり、アナフィラキシーみたいな事故で逝ってしまった彼を思わずにはいられなかった。

昨日まではぼくはホアキン・フェニックスはダークナイト時のジョーカーを演じていたのでは、と思うぐらい両者とも遜色ない、矛盾性がなく同一人物であるように振る舞っているように思えたのだが、そしてそれはホアキンがすげーのかな、とか適当なことを思っていたのだが、この鬼気迫るヒースの努力に対してホアキンが近づこう、近づこうとしていた可能性があることに気がついた。

ヒースの死因についてぼくは決して悲観的なネガティブなものではなく、なんなら圧倒的大役を納め、じゃあ身体のケアに入りますか、と気が緩んだ際にあやまって処方された薬を取り違えてしまったような、上記の通り事故のようなものだと思っているのだが、それほどのプレッシャーを、限界状態を与えていたとさえ思われる中で練り上げられたダークナイトのジョーカーの完成度とはホアキンにとって同様以上のプレッシャーだったのではないかと。

つまりあのヒースに近づくために、映画ジョーカー内では「正常なる失敗」をし続ける様を、それも鬼気迫る迫真状態でひとつずつ手のひらから壊れやすいガラス製品が落ちていき、そのまま割れてしまうかのように極めて真面目に没落していく説得力を演じなければならなかった。看板を奪われその証拠を収めたり上長に訴えればいいものを追いかけてしまったり……おふくろの手紙を覗いてしまったり……クソ政治屋の家に突撃してしまったり……書いているだけで悲しい。なんと報われないのだろう。

明日はそんなジョーカーの失敗(=ジョーカーになるために選ぶべきだった選択肢)について、気が進みませんがひとつずつ見ていきましょう。

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