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銃的な悪魔

この映画には二人の銃的な悪魔がい、3人目の単なる悪魔が監督のクリント・イーストウッドである。ヘッダ画像をお借りしてます。

クリント・イーストウッドについて話すと長い。ぼくはラッパーなのでGorillazのクリント・イーストウッドを日常的にカヴァーしているわけだが、クリント・イーストウッド自身がGorillazをカスいと思っていることは……仕方ないか。

映画の題名はアメスナです。アメリカン・スナイパーです。クリント・イーストウッドがクリスの無念を書いたのか、戦争にとらわれるとそうなるお、が言いたかったのかぼくが唯一映画監督に憧れることは映画一本作っちまえばそれについて説明するのは野暮だしその映画に関わった全員の努力を無駄にすることだから以降は何も語らなくていいことです。

そのかわりスティーブン・スピルバーグは2005ぐらいにミュンヘンを造った時にイスラエルにもパレスチナにも貶されて痛々しい。イーストウッドとどちらがいいとか比べるのではなく、大違いである。

イーストウッドはマジであったら嫌悪するタイプの人間なんだろうなと思う。書いてることが凄まじすぎるし、当人が役柄ででたときも全員嫌いだったことは以下に束ねた映画感想棚にある運び屋とかグラントリノを見てもらえれば伝わるだろう。

運び屋もグラントリノも内容自体すさまじくよいので、人には勧められそうではあるが人を選ぶ……のだろうか?もはや日本人はイーストウッドといえば無条件で賛称すべきみたいなバイアスがかかってないだろうか?北野武のようにだ。困ったことにぼくは日本の映画では北野しか見たくないぐらいに北野が好きである。

これも下の束のなかからバーチャルYouTuber関係の中にある世界の北野とどうのみたいな文を見てもらえればわかるが、数年前の1/1とかに書いたので探すのがおそらく面倒だ。普段のぼくならここにリンクを即貼っているが、noteという媒体はSNS的に見ると日々常にどんなカスいSNSよりもさらに下位にいる更新を続けているため、もはやこんなところに貢献したくない。

特にグラントリノは5回ぐらい文を書いたはずなので、そんなことはこれまでに一切なかったことからも思い入れが伺えるだろう。ぼくは他人の感想は見ないようにしているので、市井でそのように当然そうといわれるような常識についても知らない。だからグラントリノで感じ始めた北野との通底感が、アメリカン・スナイパーで確信に変わってきたんだけどそれについては文がまとまらなくなってしまったのでまた明日。

アメスナ自体の悪魔がなにかについても書いていないのだ。

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