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暑いけれど、夏という季節に舵を切る

夏は、好きか?と聞かれれば、そんなに好きではない。
でも、夏があってよかったと思う、今年は。

暑いことに変わりはない。毎年のように猛暑に拍車がかかり、気候は熱帯、亜熱帯気候になりつつあるのかもしれない。
暑さは苦手だけれども、そこにある季節に感謝する。

暑くていいことは、「暑い以外考えられない」こと。

ひとって、余計な時間があると考えてしまう。例えば、悲しみの淵にいるのだとしたら、その悲しみの出来事やら原因やら、延々と思い出し、考えあぐねてしまうように思う。

考えるのは、いいことだけど、
考えすぎては、沼にはまって抜け出せない。

その原因が、悲しみ、苦しみ、怒り、ネガティブと思われることなら、なおさら。精神を病むほどに、自分で自分を追い詰めていってしまうような気がする。余分な時間があることによって。

なので、夏は、いい。
”暑くて思考停止”するから。
考えることは、

あつい〜
アイスが食べたい〜
でも、買いに行くには、外が暑い〜

くらいかな(笑)
深刻な問題を抱えていても、あっけらかんとアイスが食べたい、と考えられる夏という季節は、いい。

かき氷でも冷やし中華でも、涼みたいという気持ちが問題すらも忘れさせてくれるような気がして。

頭の中の考え事の大半を”暑い”に奪われることに、とても利点を感じる。
考えることも大切だけど、時に思い込みは大変な事態を招きかねないから、ほどほどでいたい時もある。

そういう季節に、夏である。ぴったりだ。

夏の暑さというものは、ときに心地よい緩衝材となる。

これが冬だったり秋になったら、また物哀しい雰囲気に包まれるから、重苦しい問題はさらに深く、ドツボにはまっていきそうな気がしてならない。

だから、重い考え事をするなら夏がいい。

暑いけど、真っ青な空と白い雲、時折の雷雨は心地よい。
雷の音も、落ちさえしなければ清々しい。暑い毎日を浄化してくれるような気がして、雨と雷が好きになる。

穏やかな中にも、情緒があって、太陽の熱を西日で感じる。
(とってもあついんだけどー笑)

いつか振り返った時に、より一層、実感するのだと思う。
人生の節目の季節が、夏でよかったと。

ほんのりと熱にうなされながら、穏やかに考えられること。
深刻との境界線を暑さが底上げしてくれること。
のどかな季節に巡り会えて、前に進めること。

どんな思いにも、時がある。
それが、真実か否か、深い心理で自分に問うとき。
その判断が正しかったのかどうか、今ある生活に感じるもの、これからの未来のこと。

私は考えすぎてしまうくせがあるから、少し思考能力を奪われるくらいがちょうどいい。

その方が、平穏を保っていられる。
平穏の中で考える未来は、明るいに決まっている。

そう思わせてくれる季節の中に身を置いて、
これからを考えられる日々は尊い。

ゆっくりと、自分の望む方へ舵を切ろう。
だって、自分の人生だもの。




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