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会社員からインディゲーム開発者にクラスチェンジします

講談社ゲームクリエイターズラボに応募した企画『CultureHouse』が最終選考を通過し、第2期メンバーとして制作することが決まりました。

この記事を書いている時点ではまだゲーム会社に所属しているので、退職を完了させてから正式に活動を始める予定です。

開発の途中経過はNoteやTwitterで報告していく予定ですが、この記事ではゲームクリエイターズラボに応募した理由と、選考を通過するまでの経緯について書きたいと思います。

自己紹介

futurala(フツララ)と言います。

中学生の頃からパソコンで何かを作っているのが好きで、大学を卒業してからはずっとゲーム開発者をしています。
モデリング、モーション、企画、シナリオ、ゲームデザイン、UnityやFlashを使ったプロトタイプの制作などいろいろな仕事を経験してきました。

iOSアプリの個人開発もしていて、アルゴリズムが写真を元に絵を描くArtomatonというアプリをAppStoreで公開しています。

会社を離れてゲームを作る理由

ゲームを作って生きていく最も確実な方法は、ゲーム会社で働くことだと思います。

開発が長引いたり予想よりゲームが売れなくても、会社員なら毎月決まった給料が入りますが、個人だと売上によってダイレクトに収入が上下するでしょう。
その差があまりに大きいと、内容を欲張りすぎて完成を遠ざけたり、鬱っぽくなって開発の手が止まってしまうかもしれません。

では、なぜ会社を離れてインディゲーム開発に挑戦しようとしているのかというと、安全だけど制約も多い会社員という立場を離れて、自分が作りたいゲームを全力で作ってみたいからです。

会社員としてゲームを作るということ

「こんなゲームを作りたい」という理想やアイデアがあったとしても、会社だと、その理想やアイデアが組織全体の状況にマッチしていなければ実現することができません。

会社でのゲーム作りは、想像力を自由に駆使するというより、会社の立ち位置や経営戦略などの条件から答えを探すパズルやクイズに近いと思います。

それはそれで頭を使うし面白い部分もありますが、ゲーム開発者として生きている以上、自分が理想として思い描くゲーム作りにチャレンジしたいという気持ちも常にあります。

漫画家や小説家のようにゲームを作りたかった

ゲーム開発者になることが中学生の頃からの目標でしたが、ゲーム会社に就職しても作りたいゲームを作れるわけではないということもわかっていたので、漫画家や小説家のように独立した個人としてゲームを作れるようになりたいと考えていました。

とはいえ、当時はまだゲームエンジンやゲームのダウンロード販売が普及していなかったので、個人が商業レベルのゲームを制作して販売することは今よりもずっと困難でした。
ゲーム会社に就職したのは、ゲームを作って生活していくための妥協をした結果だったかもしれません。

現在は、UnityやUnrealEngineを使って開発したゲームを、SteamやAppStoreを通じて世界中のユーザーに届けることができるので、個人でゲームを制作して生活していくことも当時よりは現実的になったと思います。

ゲームクリエイターズラボ

講談社がインディゲームクリエイターを支援するプロジェクトを立ち上げた、という情報を目にしたのはTwitterのタイムラインだったと思います。

1年につき1000万円という開発資金の援助が注目を集めていましたが、それ以上に出版社が漫画家や小説家との関係性をインディゲームクリエイターに提供するというところに興味をひかれました。

企画書作り

応募した企画書は、異世界の生態系と、それが人間社会に影響して引き起こす現象のレポートとして構成しました。
変な企画書にしたのは理由があります。

インディゲームに期待されるものの1つに作品性の高さがあると思います。
それをスポイルしないために、市場の分析や採算性、企画を採用することのメリットといった、よくある商業的な説明は入れたくありませんでした。

ゲームを作り続けるために商業面での成功はもちろん意識しますが、それを表に出すと創作物としての魅力は損なわれると思うのです。
(トールキンとかC・S・ルイスとかエンデとかル=グウィンがお金儲けのために架空の世界を創造していたら嫌じゃないですか?)

漫画編集者はコンテンツを見るプロのはずなので、企画の特徴が伝われば、説明がなくても商業展開の可能性を読み取ってくれるだろうし、含みや奥行きがある企画書の方が読んでいて面白いだろうという考えもありました。

お金のことはわかるけど創作の面白さはよくわからない、という普通のビジネスパーソンに向けた企画書だったら別の書き方をしていたと思います。

第1期に応募した企画書のメインビジュアル

第1期の結果

書類選考を通って面接に呼ばれたものの、最終選考には残りませんでした。

前例のない内容に加え、ARやmBaaSの使用を前提にしたために、ゲームの全体像がイメージしにくく開発のハードルが高い企画になってしまったのが反省点です。

とはいえ面接で講談社に行けたのは楽しかったですし、世界観や物語のプロット、デザインに対して高い評価をもらえたことが、第2期に応募する企画の指標になりました。

再挑戦

仕事が忙しく企画書を準備する余裕がなかったので、第2期への応募は見送るつもりでした。

締め切り直前になって、Twitterでフォローしている人たちの「応募した」というツイートを見て「自分も本当はすごくチャレンジしたい」ということに気づき、ZONeを飲みながら半日で企画書を書きました。

第1期に応募した企画とはゲーム内容も世界観も別ですが、コンセプトと雰囲気は共通しています。
前回は背伸びをして要素を盛り込み過ぎたので、今回はシンプルにゲームを通して自分が見てみたい、体験してみたい世界と出来事をまとめました。

第2期の面接と結果

予備選考→書類選考→1次面接→2次面接と進んでいきました。

1次面接では、選考を通過して実際に制作する場合の条件やサポート内容を最初に説明されました。
前回もほぼ同じ話を聞いていたし、自分のニーズ(1人でも作れるけど、要所要所で人の力を借りたり、出版社が販売や宣伝をしてくれるとさらに良いものをたくさんの人に届けられる)にはマッチしているので、この部分は2つ返事で進みました。

その後の約50分と2次面接では、ほぼ、実際に作るとしたらどんな仕様や展開を入れていきたいかという話をしていました。

面接というと話すのが苦手な人や就職活動で嫌な経験をした人は緊張するかもしれませんが、企画の内容に沿った質問や提案が向こうから来るので、こちらが一方的に話さなければならないとか、答えにくい質問をされて困るということはなく、思いついたことを自由に言うブレインストーミングのような感じでした。

第1期と第2期で担当の人は違ったのですが、中の人は企画書をかなり真剣に読んで意図を読み取ってくれていると思います。
(ぼくが送った企画書は作ろうと思っている内容だけを書いて、その理由の説明を書いていないので尚更です)

面接自体は面白かったのですが、前回が1次面接止まりだったので、今回も期待はしすぎないようにしました。

結果は最終選考を通過し、ゲームクリエイターズラボの第2期メンバーとして、応募した企画をもとにゲームを制作することが決まりました。

これから

まずは残りの仕事を片付けて、いま勤めている会社を退職します。
本格的に始動するまでの時間を使って、仕様を詰めたり、制作に活かせそうな知識をインプットして準備を整えておこうと思います。

開発にはUnityとBlenderをメインツールとして使う予定です。
プログラムと3DCGは自分で作りますが、音楽や手描きのアートは良い人がいたらお願いするかもしれません。

思いつくことを全て入れると開発期間が長くなってしまうので、後からスケールできる構造にして、”最初のエンディング”まで遊べるアーリーアクセス版を、本格的な開発開始から1年半くらいでまとめたいというのが大雑把な目標です。

結び

ゲームの多様性や進化は、クリエイターが組織の枠に捉われずに作ることができるインディゲームに掛かっていると信じています。

ゲーム関係者やゲーム好きな人には、インディゲームは既に馴染みのある概念ですが、世間一般ではまだそれほど理解されていないと思います。

ゲームクリエイターズラボのような支援プロジェクトがもっと拡大していくと良いですが、そのためには、1人1人の開発者が何らかの成果を出して、インディゲームの可能性が世の中に知られていくことが重要だと思います。

ぼくがインディゲーム開発に挑戦しようと思ったのも他の人が作っているゲームをSNSで目にした影響が大きいですし、自分の足を前に進めるためにも、ゲームの開発状況をTwitterやNoteで共有していく予定です。

忙しくなると思いますが、インディゲームのイベントや、開発者同士で交流する機会があったら参加したいので、よかったら声をかけてください。

新参者ですが、インディゲーム開発者やインディゲームファンの皆さんと一緒に歩いて行けると幸いです。

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