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静かな時間と心を取り戻す ~ 悲しみの秘儀 ~
久しぶりに風邪を引いた。
10月は何やら目まぐるしく、次から次へとやることが降ってくる月であった。
自身の大切なテストを12月に控えて、その勉強をやりながら、仕事をこなし、遊びにいく。流石に体が疲れていたのか、インフルエンザのワクチンを打った後に体調が悪化、体が微熱に侵され、鼻水が止まらなくなった。
体の悲鳴を聞き、さすがにゆっくり休むことにした。
PCを閉じて、積んであった本を開く。
手に取ったのは若松英輔の著書「悲しみの秘儀」であった。
10月初旬、近所に札幌では珍しい、店主のこだわりが詰まった新刊の本が並べられた小さな本屋を見つけた。
Seesaw Booksと名付けられた本屋は他ジャンルにわたって店主のこだわりが見える選書がされており、名著から新書までなんとも私好みの選書で、自分自身の本棚を眺めているようなそんな本屋であった。
![](https://assets.st-note.com/img/1698738093053-i5V1BGHEIM.jpg?width=1200)
そこで手に取り、購入した2冊のうちの1つが「悲しみの秘儀」であった。
同書の巻末には「俵 万智」さんの解説があるが、そこにこう記されていた。
「目の前のことに追われすぎて、ささいなことでイラついたり、何が大事かということさえ考える余裕がなかったりするなら、この本をおすすめしたい」
購入するときにこの部分は読んでいなかったけど、なぜか数ある欲しい本の中でこの本がずっと気になっており、手元においておかないといけないような気がしたのはたしかである。
きっとそのときの私にはこの本がもたらす「言葉」と「時間」が必要だったのだろう。
この本の解説にあるように、この本を読んでいるときに流れる時間はあきらかに日常のそれとは違い、ゆっくりと静かに流れる。
体に染み入るように言葉の1つ1つが入ってくる。
人生はしばしば、文字にできるような言葉では語らない。人生の問いと深く交わろうとするとき私たちは、文字を超えた、人生の言葉を読み解く、内なる詩人を呼び覚まさなくてはならない
作中で引用されている数々の言葉や詞もどこにでも引用されているような安っぽいものではなく、重厚で深みのあるものばかりである。
「信頼のまなざし」というエッセイにこんな一節があった。
心を開くとは、他者に迎合することではない。そうしてしまうと相手だけではなく、自己からもどんどん遠ざかってしまう。むしろ、心を開くとは、自らの非力を受け入れ、露呈しつつ、しかし変貌を切望することではないだろうか。
変貌の経験とは、自分を捨てることではない。自分でも気が付かなかった未知なる可能性の開花を目撃することである。
本にはこの一節に出会えただけで買ってよかったと思えるものがある。
深い悲しみや絶望の中からどのように人は光を導き出していくのか。
きっとあなたに必要な「言葉」が見つかるだろう。
気だるい体をベッドに預けながら、静かにその時間と言葉に身を委ねていた。
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