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東三河の城

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東三河の城をご紹介。月1ペースで色々と。
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つくで古城まつりで水鉄砲合戦開催しました!

つくで古城まつりで水鉄砲合戦開催しました!

第43回つくで古城まつりが2024年5月12日に開催されました。今年は亀山城築城600年の節目だそうです。

地元の観光ボランティアガイドで色々活動しているI さんから、昨年、地元の子どもたち向けに何か城を知ることを一緒に考えて、と依頼があったので、それなら戦うのが一番でしょう、と、提案。昨年は残念ながら雨で流れたのですが、今年はなんとか天気が持ちました。

なにぶん初めての開催。しかも地元作手小

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野田城の整備活動に参加してきました

野田城の整備活動に参加してきました

元亀四年(1573年)1〜2月、武田信玄が2万5千の軍勢に対し、徳川方菅沼定盈はわずか400人の軍勢で籠城。水の手を抜かれて最後は開城しますが、戦国最強を謳われた武田信玄と1ヶ月対峙し、信玄最後の戦いとなった場所として有名な野田城。

こちらの土地が市に寄付されたことをきっかけに、城の本丸崖、南東側の整備活動を、2024年3月9日(土)に地元のちさと郷土研究会が実施しました。
ので、私も参加してき

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第2回吉田城堀さげ清掃に参加してきた

第2回吉田城堀さげ清掃に参加してきた

愛知県豊橋市にある吉田城でもボランティアによる清掃活動が始まったと聞き参加してきました。第1回目は都合がつかずに参加できなかったので、2024年1月13日(土)開催の第2回目に私は初参加。
朝10時からのスタートですが、なんと参加者は開始時135名。結果150名近くにまで膨れ上がったそうです。
こんな大人数を捌くのは大変でしょうが、受付や機材なども非常に手際良く洗練されており、とても第2回とは思え

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「徳川の城・吉田城」シンポジウムの会場設営等ボランティアに行って、シンポも聞いてきた

「徳川の城・吉田城」シンポジウムの会場設営等ボランティアに行って、シンポも聞いてきた

豊橋市主催の第6回とよはしシンポジウム「徳川の城・吉田城」が2023年9月23日(土)に開催され、その会場設営や来場者案内のボランティアを募集していたので参加してきました。
準備をしながら文化財センターの皆さんと話ができる。これだけでも、私のような歴史好きはうれしい。受付用の机出したり、机にポスター貼ったり、幟旗を立てたり。正直、本職でこうした設営作業を多くこなしてきたので、個人的には馴染みがあっ

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2023年古宮城と設楽城の整備活動について

2023年古宮城と設楽城の整備活動について

皆さん!
今年もやってまいりました。古宮城の整備活動の日程。
年に1回、新城市作手の名城、続100名城の古宮城に集うフェス。と、いっても、整備活動を行うわけです。

2023年は10月14日(土)の午後1時30分からです!
完全ボランティア手弁当でのこの活動も今年で12年目の11回目。(コロナで一回休み)午後3時まで作業していますので、ぜひ興味のある方はご参加を。
現地に駐車場あります。古宮城内の

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設楽城の整備ボランティアに参加してきた

設楽城の整備ボランティアに参加してきた

本物の山城で行う真冬の狂気の宴「極寒の水鉄砲合戦 in 設楽城」

設楽城は地元自治会を中心とした「元気城山」が整備活動を年に3回行っていることで、この狂心(たぶれこころ)のイベントが開催できています。
2023年6月18日(日)午前8時30分から、整備活動が行われる、ということでしたので、場をお借りしている身としては、いざ東栄と馳せ参じる。

実は、近年色々と戦に支障が。。。

枯れ葉や枯れ葉が

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小田城(こだじょう) 〜凄い城だった〜

小田城(こだじょう) 〜凄い城だった〜

「作手の小田城跡は行ったことがありますか?」
と、ちさと郷土研究会のOさんからLINEが。
前々から興味があったので付いていくことにしました。
これが、付いていくことにして正解。
とても一人で行こうとは思わない場所だった。

そもそも国道301号から続く県道35号岡崎設楽線が災害工事で通行止。
このため、最短距離で行けない。どこで通行止になるのかわからないので、とりあえず行ってみたら、ちょうど後少

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亀山城の整備活動に参加してきた

亀山城の整備活動に参加してきた

作手古城まつりが2023年5月14日に開催される。

ボランティアガイドツアーが行われるにあたり、私にもお手伝いの声がかかり参加することになったのだが、復活にあたって自由に企画していい、というお題が与えられた。そこで企画を一つ提案した。
亀山城で水鉄砲で参加者を襲ってみてはどうでしょう?
というもの。

ガイドボランティアは過去にも行われていた。確かに城についてよく理解できる。しかし、昔から思って

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野田城450年記念講演会 平山優氏降臨!

野田城450年記念講演会 平山優氏降臨!

新城市に暮らしていて良いな、と、思うこと。
それは、歴史に関して良質な講演会の機会に恵まれること。長篠の戦いや設楽原合戦の現場だけあって、住民の関心も高く、研究者の方々も来やすい、という地理的特性があるのだと思っております。

さて、本日は新城市と野田城の地元「ちさと郷土史研究会」合同による野田城450年記念講演会として、あの大河ドラマ「どうする家康」の時代考証を担当されている平山優さんが講師とし

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道目記城 〜武田信玄最後の戦いの本営〜

道目記城 〜武田信玄最後の戦いの本営〜

以前、大野田城を2回に渡ってご紹介(第1回、第2回)しました。
その際に出てきました武田信玄生涯最後の戦いとなった「野田城攻め」。
信玄が本営にしていたのが道目記城です。

現在は横浜ゴムの社員寮や中学校の施設ができており、遺構が・・・。昔は土塁などがあったらしいです。

この城の近くを川が流れており、ドドドドとどどめく様から川が「どうめき川」と名付けられたようで、城の名前にもなっているようです。

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大野田城② 〜元亀2年を天正3年に置き換えてみた〜

大野田城② 〜元亀2年を天正3年に置き換えてみた〜

前回、大野田城の縄張をご紹介しました。
通常、城の縄張と歴史的な話を同時に紹介するのですが、大野田城の場合、歴史が変わっており、整理する必要がありました。

なぜ整理する必要があるのか。
元亀2年に武田軍が奥三河に侵攻したといわれていたのにその事実はなく、これまで元亀2年の出来事を書いていると思われていた文書は天正3年のことだった、と、これまでの通説が変更されたためです。

そうすると、これまで言

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大野田城① 〜意外と見どころが多い城〜

大野田城① 〜意外と見どころが多い城〜

武田信玄が撃たれたとか撃たれてないとかで有名な野田城の戦いから450年。

今回ご紹介する大野田城は野田城近くの別の城。
まぎらわしい!と、思った方も多いかも。
それもその筈。武田信玄が死ぬ直前に攻めたことで有名な野田城は、それ以前にも今川の攻撃に晒されてぶっ壊されています。野田城は大修理が必要となったため、城主菅沼定盈は、一旦近くの古い砦を改修してそこに住みます。それがこの大野田城です。
なので

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臼子城 奥平氏暗躍の舞台

臼子城 奥平氏暗躍の舞台

臼子城と聞いて「ああ!あの!」という人は、ほぼいない。(と、思う。)
愛知県『中世城館跡調査報告Ⅲ(東三河地区)』(1997年 愛知県教育委員会)の臼子城の概要欄には、あっけない記述があるのみ。
城主には「佐宗大膳、同勝重、同重昌」とありますが、これも
「誰?」
となる方が記載。
佐宗家といえば、代々作手村の村長を出してきた家柄として地元では有名な一族ですから、きっとこのご先祖なのでは、と、推察さ

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笠頭山陣地 徳川家康、野田城救援に失敗。

笠頭山陣地 徳川家康、野田城救援に失敗。

野田城の戦い450周年だそうです。

野田城の戦いとは、元亀4年(1573年)1月から2月にかけて武田信玄が2万の軍勢で、徳川方の菅沼定盈以下400の軍勢が籠る野田城を包囲したという戦いです。結果、野田城は開城しますが、城主定盈は人質交換で無事に返り咲き、しかも、信玄は、この後体調が悪化し、口の中にできものができて歯が5、6本抜けて死に、徳川家康は首の皮一枚で助かります。

この野田城包囲戦の際、

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