【物語】二人称の愛(上) :カウンセリング【Session31】
※この作品は電子書籍(Amazon Kindle)で販売している内容を修正して、再編集してお届けしています。
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2016年(平成28年)03月10日(Thu)
今日から急遽、学はみずきそしてゆき、みさきの四人で東北に行くこととなった。それは先日のみずきからの一本の電話が最初だった。そうあの東日本大震災(3.11)で、みずき達は東北の被災地に行くのに、学について来てくれないかとお願いしたからだ。
学は迷った。自分みたいなよそ者が被災地に足を踏み入れ、被災された方達のお役に立てるとはとても思えなかったし、また本当に現地の方達が自分を受け入れてくれるだろうかと思ったからである。しかしみずきから是非現地に行き、そして集まったひと達にセラピーを行なって欲しいと言う強い要望があり、東北に行くことを決意したのだ。
約束の朝10時に東京駅の『銀の鈴』で待ち合わせていた学が到着した時には、既にみずきそしてゆき、みさきの三人は揃って待っていた。待ち合わせ場所に到着すると、学はみさきから新幹線の切符と車内で食べるお弁当を手渡されたのだ。
倉田学:「おはようございます。皆さん早いですね」
美山みずき:「おはようございます倉田さん。わざわざ来て頂きありがとう御座います」
ゆき :「おはようございます倉田さん」
みさき:「おはようございます倉田さん。はい、お弁当!」
倉田学:「ありがとう、みさきさん」
美山みずき:「では早速、新幹線に乗って仙台に向かいましょう」
こうして四人は東北新幹線に乗り仙台駅へと向かった。途中、ゆきが学にこう言って来た。
ゆき :「倉田さん、LINE交換しませんか?」
倉田学:「ごめん。僕そういうのやらないんで」
ゆき :「東北に行って、四人で連絡取り合うのに必要なんですよ」
みさき:「そうですよ倉田さん」
学はしぶしぶ自分のスマホを取り出し目の前に出した。
ゆき :「なーんだ倉田さん。LINEアプリ入ってるじゃないですか」
倉田学:「いや、入ってることは入ってるけど・・・」
学は必要以上に個人的なやり取りをクライエントとやるのを避けたかったが、四人で連絡を取り合うのにどうしても必要とのことで、しぶしぶ自分のスマホを差し出したのだった。そして学とゆきはLINEの『ふるふる』で友達追加を行ったのだ。
ゆき :「倉田さんのLINEとつぅーながった。倉田さんのLINEのアイコン、これなんですか?」
倉田学:「マリモ」
ゆき :「えぇー、マリモ!?」
みさき:「あの水中にいる丸いのでしょ!」
倉田学:「そうだけど・・・」
美山みずき:「そう言えば倉田さんのカウンセリングルームに、アクアリウムがあったわよねぇ」
倉田学:「ええぇ、僕はひとと付き合うのが苦手だから、植物とかの方が落ち着けるんです」
ゆき :「倉田さん、変なのぉー」
みさき:「倉田さん、変なのぉー」
そうゆきとみさきが口を揃えて言った。そしてゆきは学のLINEを三人のグループに追加したのだ。そのグループ名は『チーム復興』で、アイコンは『奇跡の一本松』であった。
ゆきは今回の東北被災地の旅に向け、被災地で中島みゆきの唄が復興ソングとしてラジオなどで流されている事を聞きつけて、四人のメンバーのテーマ曲を考えて来ていたのだ。その曲を『チーム復興』の中に入れた。
ゆき :「今から四人のテーマ曲を、この『チーム復興』の中に入れますね。倉田さんのテーマ曲『銀の龍の背に乗って』、みずきママのテーマ曲『ヘッドライト・テールライト』、みさきのテーマ曲『異国』、最後にわたしのテーマ曲『根雪』」
こうして四人のテーマ曲が『チーム復興』の中に追加された。学は添付された音声ファイルをダウンロードして聴いてみる事にした。スマホにイヤホンジャックを差込み、慣れない手付きで再生アプリに落とし込み再生したのだ。そしてこころの中で呟いた。また他の皆んなも想い思いに感傷に浸っていたのだった。
倉田学:「僕に出来ることは何だろう。僕に出来ることは、ただ同じ時間を分かち合うことだけだと・・・」
みずきはと言うと。
美山みずき:「東日本大震災(3.11)からこれまでの時間。自分のお店のこと、そしてこれからの終わりのない時間を・・・」
それからみさきはと言うと。
みさき:「まだ見ぬ故郷の福島県 南相馬市へ寄せる想い。そしてこれからの家族や弟とどう暮らしていけばいいのか・・・」
そしてゆきは・・・。
ゆき :「この唄を聴くと、姉のみきが今でも傍にいるよう思い起こされる。それは宮城県 南三陸町の冬の雪空の下でも力強い幹木(もとき)のよう、しっかりと生きろと言う想いを込めて付けられた姉のみきと言う名前。そしてその雪景色から想いを込めて両親がわたしにくれたゆきと言う名前・・・」
車中四人はお弁当を食べ、この曲の唄に想いを馳せていたのだった。その間、四人のそれぞれの想いは交錯し、会話することは殆ど無かったのだ。
正午少し前に、四人の乗った新幹線は仙台駅に到着した。みずきは前もって予約していた駅傍のレンタカー屋に車を取りに行き、三人の待つ仙台駅の脇に車を停めたのである。そしてみずきが車のハンドルを握り、助手席に学、後部座席にゆきとみさきが座ったのだった。
四人は一路『東北自動車道』から一関ICを経由し、先ず最初に岩手県 陸前高田市にある『奇跡の一本松』に訪れた。それはみさきのたっての希望であった。と言うのも、今もまだ放射能による汚染で帰ることの出来ない彼女の故郷の福島県 南相馬市に、もうひとつの『奇跡の一本松』があるからだ。
みずきは車を『奇跡の一本松』から少し離れた駐車場に停めた。その時、車の車内のラジオからは中島みゆきの『地上の星』が流れて来た。学はこころの中でこう思った。
倉田学:「ここにあの東日本大震災(3.11)が起こるまで松林があって、こんな無残な荒野へと変わり、未だにその爪痕が残され、僕に何ができるだろう」
四人は雪が舞い散り、そして雪積もる中を一歩ずつ踏み締めるかのように『奇跡の一本松』へと近づいて行ったのだ。命の儚さと地震や津波といった大地の脈動の凄まじさを、改めてその『奇跡の一本松』の姿や近くの建物から伺うことが出来たのだった。その時、傍にいたみさきを観ると、瞳を赤くし泣いているように学には見えた。四人が『奇跡の一本松』の目の前まで来ると、みずきが説明してくれたのだ。
美山みずき:「この『奇跡の一本松』は、実は本物では無いの。そうレプリカでモニュメントなのよ。最後に残った一本も、海水で根が腐ってしまったの」
そう言うと、みさきとゆきは悲しそうな表情を浮かべて『奇跡の一本松』を見上げた。それを観たみずきは、学に何かこころ安らぐセラピーが出来ないか訊いて来たのだ。
学は瞑想を皆んなで行うことを提案した。亡くなったひと達への霊(たましい)を癒す思いも込めて、マントラを基にした『ババナム、ケバラム』と言う唄を歌い出したのであった。
倉田学:「ババナム、ケバラム~♪ ババナム、ケバラム~♪ ババナム、ケバラム~♪」
そして他の皆んなも口ずさんだのだ。皆んな唄を口ずさみながら涙が溢れ出し、その涙が東日本大震災(3.11)で亡くなったひと達の霊(たましい)を浄化して行くかのように感じられた。雪舞う冬空の下、四人は手を繋ぎ10分ぐらい東日本大震災(3.11)から今までの時間の流れを感じることが出来たのである。こうしてその場所を惜しみながら次の場所へと移動したのであった。
この時、誰も口を開く者は居なかった。車を走らせ向かった先は、ゆきの両親が避難所生活している宮城県 南三陸町の仮設住宅である。ゆきにとっては約半年ぶりの両親との再会で、親に逢えることをこころ待ちにしていた。
ゆきの両親は『平磯地区』の仮設住宅に住んでおり、その建物の横にみずきは車を停めた。ゆきは荷物を降ろし、ゆきは今日から明日まで、みずき達が向かいに来るまで一家水入らずで久しぶりに家族で過ごすこととなるのだ。みずきはゆきの両親の住む仮設住宅のドアを叩いた。するとゆきの母親が出て来たのだ。
ゆきの母親:「あらぁー、みずきつぁん。もう着いたちゃ、どでんした!」
美山みずき:「久しぶりだっちゃ。元気してたねが」
ゆきの父親:「どでんした、がが!?」
ゆきの母親:「みずきつぁん。ゆき連れて来たっちゃ」
ゆき :「ただいま。おやんつぁん、がが」
ゆきの父親:「ゆき、おがるなった。みずきつぁんも、めんこいだっちゃ!」
そんな地元ならではの会話に花を咲かせ、ゆきを残し三人は再び来た道を戻り宮城県 気仙沼市へと車を走らせたのだ。この日三人が宿泊するのは、みずきが高校生の時からの親友で、みずきが東京へ上京した後も連絡を取り合っていた友達が女将をしている気仙沼市内にある旅館であった。
この旅館もあの東日本大震災(3.11)の被害を受け、一時期営業を見合わせていたのだが、ようやく再開の目処がつき最近また営業を始めたとのことだ。みずきが運転する車からは真新しい建物が見え、それは気仙沼 海の市『シャークミュージアム』だと言う説明をみずきから受けた。そして目的の旅館『清水旅館』に到着したのであった。
早速、みずきは旅館の駐車場に車を停め、そして三人はそれぞれ荷物を持って旅館の玄関の扉を開け中へと入って行った。
美山みずき:「おばんでがす。どながおんなす?」
そうみずきが言うと、玄関のフロントの奥の方から懐かしい声がした。
清水さちえ:「みずきしばらぐ~。元気だっちゃ?」
美山みずき:「さっちんもしばらぐ~。元気だっちゃ?」
こうして三人は『清水旅館』の女将さちえにそろぞれ部屋を案内されたのだ。学には東北弁で話されると聴き取れない部分もあったが、何となく表情や身振りから何を言っているのかわかった。もう旅館に着く頃には外も真っ暗で、更に冬の寒さが足元から感じることが出来たのだ。
そして旅館の部屋に通されると部屋は既に暖かく温められており、荷物を降ろして着替えを纏め、学は男湯へと向かった。今日一日の疲れと暖かいお湯が学の今日の出来事を洗い流すのと同時に、お風呂の湯気に今日起こった光景が走馬灯のように映し出され、学は今日の出来事を振り返っていたのだ。
昔、おじいちゃんと一緒にお風呂でやった、石鹸でシャボン玉を膨らませ、どっちが大きく膨らませることが出来るか比べた頃のことを思い出した。ここに住んでいたひと達も、きっとおじいちゃん、おばあちゃん、そしてお父さん、お母さんと、あの東日本大震災(3.11)が起こるまでは幸せに暮らしていたのだろう。その幸せを一瞬にしてあの震災や津波で失うことを誰が予想していただろうか。学はこう呟いたのだ。
倉田学:「大切なものを失う前に、僕たちは自分の気持ちを大切なひとに届けなければ。後からでは後悔しかできない」
この言葉は、学自身に問い掛けた言葉でもあったように思えた。そしてお風呂を出て部屋に戻った後、食堂で刺身などの海の幸を盛りだくさん頂いた。珍しいものに『ホヤ』、それから『さんまの刺身』などがあった。夕食を済ませた学は、部屋に戻るとカバンからスケッチブックを取り出し、今日眼に焼き付けた陸前高田市にあった『奇跡の一本松』を思い起こしながら、その絵を描いたのだ。こうしてこの日の晩は更けて行ったのである。
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