備忘録:カギムシを巡る論争の続きを書き留めて

ウィリアムソン博士が2009年のPNAS誌に発表したカギムシを昆虫の芋虫型幼虫の起源とする仮説については、ハート博士による返信以降も、博士自身やその他の研究者による寄稿がなされた。その大部分はその年のPNAS誌で展開された。


① 博士によるハート博士への返信

掲載誌がオンライン上で見当たらないため不明だが、内容からは2009年と思われる。論題は”Weight of DNA, genome sequences, and phylogeny”とあり、原文の内容より、博士自身による手記と思われる。以下に記載したい。


ハート博士らはDNAのC値を基に反論しているが、C値はコードDNAと反復配列を含む非コードDNAをひとくくりにしている。ヒトゲノムの95%は非コードDNAであり、多くの動物も同様である。単細胞生物であるPolychaos dubium(アメーバの一種)はヒト細胞核の200倍者DNA量があり、ショウジョウバエDrosophilaのC値は0.12-0.41の幅がある。尾索類のゲノムサイズがオタマボヤに似ている点はC値のみに基づくが、実際に、3種の尾索類のうち1種だけでC値がオタマボヤの1種のみと似ているという現状である。私の仮説では、全てのタンパク質に対応した解読済みのゲノムのプロテオーム研究を必要としている。この研究により、尾索類の卵で発現しているオタマボヤのゲノムもわかるだろう。


しかし、ハート博士らは、私が利用可能なデータの半分を意図的に選択したと批判している。私はC値のゲノムデータベースのどのデータも参照していない(データベースのURLは、www.genomesize.com になる)。その理由は、非コードDNAの量に反比例してC値が大きくなるためだけではなく、遺伝子と表現型の関係など発生学的なデータが検討されたタンパク質の配列に基づいて比較されなければならないと考えたからである。私が仮説にあたりとりあげたデータはドラフトゲノムシーケンスに基づくもので、関連する文献もあげている。


私は、自らの仮説を、非コードDNAの重量ではなく、遺伝子の数と同一性に基づいて考えた。アリマキAcyrthosiphom pisumのゲノム解析については知らず、昆虫が雑種形成よりも遺伝子水平移動で遺伝子を獲得したとは説明はしなかった。この知見を発表した研究者によると、遺伝子水平移動でアリマキが多くの遺伝子を細菌より獲得した証拠があるという。これらの遺伝子は共生細菌で維持されているが、宿主の動物のタンパク質を作ってはいない。私は、仮説の発表において、タンパク質をコードする遺伝子に限定すべきだったと思う。

ハート博士らはPriapulus caudatusを有爪動物としているが、これは海生の蠕虫であるエラヒキムシ(鰓曳動物)になり、カギムシとは無関係である。


② 他者からの意見と博士の返信

同じくこの年のPNAS誌に、ハーバード大学比較動物学博物館の研究者より、博士の仮説への批判的な意見が掲載された。博士の仮説は空想科学小説であり、科学的な実証はできないことを指摘し、過去の研究で有爪動物は節足動物の姉妹群であることがわかっているのになぜ無視するのか理解できないなど、博士の仮説を全面的に否定する内容であった。

博士は、これについて返信を書いており、PNAS誌の同じ号に掲載された。博士は自らの仮説を手短に展開した上で、自らがかつてホヤの卵とウニの精子で雑種形成実験を成し遂げたように、遺伝学者が有爪動物の精子と昆虫の卵を交雑させる実験を実行することを望んでいると述べ、2000年以降、遊泳幼生は二次的に生活環に挿入されたことが示唆されてきているが、その幼生達の起源については議論されていないことを強調した。


翌月のPNAS誌では、コロンビア大学メディカルセンターの研究者らが、博士の仮説について意見を寄稿した。彼等もまた博士に批判的であった。幼生世代を持つことでゲノムサイズが大きくなる点については、生物個体の生理的な複雑さによることも考えられ、必ずしも幼生があるためとはいえない、と述べ、ゲノムサイズは遺伝子の位置や生物個体の複雑さとは相関する必要はないことが過去の報告で指摘されていると述べた。また、完全変態する昆虫が外翅類の昆虫(バッタが該当する。不完全変態になる)に比べてより多くのタンパク質をコードする染色体DNAを持つことも不要である、と考え、理由として、タンパク質の多様性は択一的スプライシングや他の組換えなどの生命現象で可能であり、多くのタンパク質を作るために多くの塩基配列を持つ必要はない、と論じた。


ただし、彼等は、一つの面白い提案をした。有爪動物とゴキブリの交雑実験については、有爪動物と完全変態をする昆虫との間で配列の相同性が見つかるのなら、代謝に必須なタンパク質を見つけて配列の類似性を確認するのが良いのではないか、と提案をしている。彼等の意見に対する博士の返信については、私自身は確認できていない。


③ 別の専門誌での批判的意見

同年のBioEssays誌で、イタリアのパドヴァ大学の研究者が、C値そして雑種形成について、博士の仮説を受けて、批判的意見を掲載している。C値については、有爪動物が2種で4.43および6.86なのに対し、膜翅目(0.29-1.94)およびゴキブリ(9種で1.32-5.15)とあり、カギムシが芋虫型幼虫の起源としても、C値が大きすぎ、雑種形成による幼生の獲得は考えがたいとした。また、甲殻類の根頭上目のフクロムシではフジツボなど3種類の異なるゲノムから構成されると博士は述べているが、フクロムシの1種であるSacculinaのC値はフジツボのそれよりもかなり小さい点を指摘した。また、雑種形成については、一般的な動物の胚発生は最初に卵由来の遺伝子が働き、その次に精子由来の遺伝子が働くが、今回のような有爪動物の精子の情報による芋虫型幼虫の獲得が成り立つなら、精子由来のゲノムの発現が母性のmRNAの活発な排除に続いて成されることになり、現実的に考えがたい、と述べている。


雑種形成実験とゲノム情報を用いたデータ解析のいずれも、カギムシと芋虫型幼虫の関連性については、実際に解析したという報告を今も見つけられていない。オンライン情報を駆使すれば、この2009年の博士の発表については引用や手短な意見を述べている文献はあることにはあるが、いずれも、本記事で書き留めた情報を超えることはなかった。幼生転移の成立・不成立が確定する成果は、いつ世に出るのだろうか。



使用文献

Weight of DNA, genome sequences, and phylogeny Donald I. Williamson著 出所不明 2009年(推測)

On velvet worms and caterpillars: Science, fiction, or science fiction? Gonzalo Giribet著 PNAS November 24, 2009

Reply to Giribet : Caterpillars evolved from onychophorans by hybridogenesis Donald I. Williamson著 PNAS November 24, 2009

Can molecular biology and bioinformatics be used to probe an evolutionary pathway? Arnab Deら著 PNAS December 29, 2009

The Origins of larval forms : what the data indicate, and what they don’t Alessandro Milelli著 BioEssays 32:5-8 2009

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