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彼女がその名を知らない鳥たち

前回「孤狼の血」でボロクソに言った
白石和彌監督の作品です。

あれから色々と考えて、理解出来ないのは
わたしの思慮の足りなさなのではないかと思い
もうひと作品くらい見たいなと思って
Amazon primeで見ました。


この映画が実は酷評されていることは
知っていました。
上映当時も気になっていたけど
わたしは「蒼井優」という時点で
嫌な予感がしていました。
多分それが酷評の理由。

その理由からお話します。

※思ったことが多いので
途中ですます口調じゃなくなってます笑


宮本から君へ

という映画をご存知でしょうか。

※下記画像より予告編に飛べます

この「宮本から君へ」はまじでクソ映画です。
まあうん、内容としては総じて△という感じ。笑
何がクソってとにかく蒼井優が犯される。
男に性的に搾取される女。
気持ち悪くて吐きそうになった。

この映画きっかけでわたしの中の蒼井優は
性的搾取女になってしまった。

「女優が体を張った演技をする」って
結局こういうことになってしまうのか?!
と悲しくもなった。
この映画、今回紹介する「彼女がその名を知らない鳥たち」同様に
比較的に男性たちからの評価は高いというのも
また気持ち悪い。
胸を出し、尻を出し、乳首を出し
強姦され、外でおしゃぶりさせられ、、、

そういう、性的に消費され
男性に性的にいたぶられる存在を好演することが
「体を張る」ことなのか!?!?
という違和感はここ最近の社会派邦画にはずっと感じている。

まあ実際あれだけ体を張って、セックスシーンを
リアルに描写できるのは凄いと思う。
それにGOサインを出す蒼井優自身も
肝が据わってて、腹括った女優だってことが
もうそれだけでわかる。


ただ蒼井優を、
美しいと思ったことはないです。


めちゃくちゃ失礼なことを言っていますが
女優としての蒼井優は
いつも男に暴力を振るわれたり
無理矢理犯されたり
あの長い髪を掴まれて、ぐちゃぐちゃに泣いている。
涙と汗で湿った頬に髪がへばりついて
汚く、情けなく床に這いつくばっている。
細そうな喉で怒号をあげて
悔しそうに口を結ぶ。

そういう女ばっかり演じているように思う。

目が三角になる。
怒った、憎しみを込めた目を
本当に漫画みたいに目を三角に釣り上げて
睨みつけられる女優は
確かに蒼井優しかいないと思う。

美しいというより
薄汚さの中から憎しみで自ら光り輝く
という感じ。


蒼井優の役に感情移入したことは
ここ数年どの作品でもない。
たぶん「女の底辺」の具現化だから。
でもわれわれと同じ「女」という種族ではあるからこそ
その底を体現してくれることによって
チクチクと刺されるような感覚は生まれる。

全く遠いわけではない
けど共感はできない
共感できてはいけない、という気持ちにさえなる。
微妙な距離感で私たちに訴えかけてくる。


松坂桃李というバケモノ。

とにかくこの映画はエロいシーンが多い。
松坂桃李は特に。

「娼年」という映画でも思ったが
エロいシーンがうまいと思う。
「孤狼の血」の暴力シーンでも感じたことだけど
たぶんリミッターを外したような演技が上手い。

彼はラジオでは生粋のデュエリストとして
名を馳せてるようですが(笑)
本当にそんなオタク青年なのかと疑ってしまうくらい
エロかった。
監督の指示だと思うけど、エロい奴の舐め方。

特段、クズでエロい奴の。

女に声を出させて
ちょっとずつ支配していくように体を舐め回す
一見相手の快楽へ気遣っているようで
己の欲にしか優先度がない
そういう男の舐め方だとわたしは知っている。笑


松坂桃李はクズ男がうまいと思う。
蒼井優演じる十和子と話す時
電話でも直接の対話でも
常にその声に「温度」はなかったように感じた。


適当に買った安い腕時計と
本の見出しの言葉を入れ替えて話すだけの上辺の会話。
「妻とは別れる」と言ってチラつかせる
輝かしい結婚指輪。


十和子との出会いから終わりまで
とにかく現実味はない。
そんなこと言い出したらこの映画で起こること全て
大半の人は現実味がないし
むしろ経験しなくていいこと、でもある。

でも、不思議と松坂桃李演じる水島を
知人の誰かに置き換えてみている自分がいる。
十和子を誇張しすぎた私として、
黒崎は、彼で水島はあいつかも。
リアリティーはないけれど
こちらから歩み寄ってしまう。

我々の暮らしをわざと泥だらけにした感じ
というと伝わりやすいかな。笑


白石監督の強み

孤狼の血、凶悪、そして今作。
3作品見て監督の強みや傾向が少し掴めた。
ギリギリを責めた見事な演出でも
嘘くさくなりすぎずリアルさを一辺に保つことができる

という点が彼の強みだと思う。

暴力、性、犯罪、意識
どれをとっても過剰で誇張。
常に何かしらのギリギリのラインに仁王立ちしているような演出。
それでも自然と感じ取れるものはある。
その不思議さが白石監督の魅力だと思う。

それを踏まえると、今作は良かったのかもしれない。
まず表現として。

阿部サダヲ演じる陣治は、とにかくやたらと
「食べる」シーンが多かった。

これ、主要男性俳優3人(阿部、松坂、竹野内)のうち
うまそうにむしゃむしゃ色んなものを食べているのは
陣治のみである。

人間は三大欲求というものがある。

竹野内、松坂は性欲に振り切ったモンスターで
十和子の欲しかったものはくれないけど
十和子を虜にする何かがある人たち。
一方、陣治は食欲に振り切っている。
「性欲でない」という時点で人は安心してみてしまう。
人間性とか、その人の人間臭さって
食事の仕方に出るっていうが、まさにその通り。
いちいち熱々の肉とか口に入れるたびに
「熱っ!!」とか吐き出してるの、
初めは「リアクション芸人かよ」と突っ込んでたけど
これ、黒崎や水島はそんな食べ方多分しないだろうし
十和子もなんだかんだ言って、
そんな上品とはいえない陣治に惹かれてたんだろうな
という風に思わせられる。


そういう細かい描写に
登場人物の「人間としての特徴」をきちんと描いている。
役者たちの演技のうまさもあるのだろうけど
監督のその細部に渡る演出は
多分私が見つけきれていない部分にまで
及ぶのだろうと思うと
さすがとしか言いようがない。



端的なタイトルになってしまったけど
要はこの映画が伝えたいのは「愛」だ。

この映画の中には
自分のためにそこまでしなくても、、、
という愛がある。

押しつけられる愛に美徳はないと思う。
この話も結局はそういう話なのだけど
愛を注ぐ側に、何も見返りを求める心がなければ
押しつけはなくなって、ただただひたすら
「愛」になるんだと思った。


陣治の最後の行動は
果たして十和子にとって救いになったのか?
と思うところもある。
全てがリアルさのない過剰さの中で
正しさの感覚が見ている側もわからなくなってくる。
これも監督の策略なのだろうか。
我々は監督の手のひらで踊っているだけなのかもしれない。

私が十和子だったら
この大きな愛をどう受け止めて生きていくんだろう
と見終わったあとひたすら考えた。

もう十和子には一生陣治がおぶさっていることになる。
背負わなければいけない愛を貰ってしまった十和子は
果たしてどう生きていくのだろう。


正しいことが愛の必須条件ではない

水島や黒崎に向けた十和子の愛も
十和子に向けた陣治の愛も
消して美しくはないし正しくもない。

だが間違ってもいない。

こんなにも心揺さぶられ、
純愛のようなものを感じるのはなぜだろう。
過剰なまでの自己犠牲の精神。
重い。けど最高の愛だ。


私にはない、引き出しがそもそもない。
こんな愛は描けない。
確かに描写として気持ち悪い箇所はあった。
でも新しい感情を得るために
引き出しを増やすために見るべき映画だとも思う。
私は見てよかった。



愛するということ。
それを考えるための映画です。



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