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街々の天気

東京の冬の空は青い。この冬、夫と歩きに出た時は会話の隙間に「空が青いなあ」と幾度もこぼした。年々青くなっているように思える。大陸から海に向かって吹く風が、山にぶつかって日本海側に雪を降らせる。水分を無くした空気が山を越えてやってくるから、東京の冬は毎日晴れて乾燥している。冬の青さに気づいたのは2度目に東京に住んでからだと思う。


綿矢りさの小説『手のひらの京』を読んだ。京都(京都市の中心部)を舞台として、生まれも育ちも京都の三姉妹の恋愛・就職模様を描く。同市出身の著者による風景描写は、観光地として紹介される土地土地をと描きながらも、そこに生活したことがある人だからわかる感覚が文字となっている。奇しくも三姉妹の末っ子の凛と同じように、わたしも市内の大学院に通っていたことがある(そして修了後は東京で就職した)ので、同書の解説に挙げられている内容に、うんうんそうだよなと頷きながら読んだ。連休最終日の夜の四条なんかも静かでいいんだよねえ、と思い出す。

京都といえば、盆地で夏は暑く冬は寒いというのがお決まりで、私の体感でも夏は日差しがとにかく強く、冬は体が芯から冷えると思う。『手のひらの京』では、京都の街は碁盤の目になっているが故に、道を歩いていても日陰が少なく、夏は日傘が手放せないと書いてあった。年々暑さを増す日本にいて、日傘は必需品となりつつあるが、わたしが日傘デビューをしたのはそういえば京都にいた時だった。


京都の人はみんな日傘をしている!帽子を被ったりアームカバーをしたり、よく対策している!と母が教えてくれたのは、実家の家族が京都に移り住んで2年目ぐらいだった気がする。もともとわたしの地元はある太平洋側の北の街で、母は生まれも育ちも学校も就職も結婚も子育てもその地でやってきた。長年押し込められた地元からやっと出てきて、新天地の働き先で京都の人々と交わっては、楽しそうにローカルな知識を教えてくれた。その一つが日傘だった。


確かに、真夏に京都の街をいく女人はみな日傘をさしていて、なんならサングラスとか帽子とかアームカバーとかプラスアルファのアイテムも身につけている。帽子やアームカバーなんて逆に暑くはないか、よほど日焼けが嫌なのだろうと思ったりしたが、それらは全て日差し対策、暑さ対策なのだ。そしてついに、なぜあの街ではそこまで日差し対策をしなければならないかというのが、このたび綿矢りさの洞察により明らかになった。(すっきり)


その頃私にとって日傘ははまだお嬢様感のあるアイテムであって気恥ずかしいような気もしたが、実家に帰った夏は母の日傘を借りて出かけるようになった。強い日差しの中で日傘をして歩くと、新しい実家の近くの初めて見る景色の中でも、自分が住民として馴染んでいるような気がして嬉しかった。真夏の京都はきびしくても、涼やかなワンピースなんか着て、日傘をさして歩いているととっても気持ちがいい。


京都から東京に移ると、京都の冬より東京の冬の方が厳しいじゃないか、と思う。京都市の天気はどちらかというと太平洋側なので、冬は鈍色の空が続く。でも湿度がある。夏に湿度が高いとより暑いが、冬だって同じことが起こっている気がしていて、冬は湿度があったほうがあたたかいと感じる。久々に会った東京の友達と駅で電車を待ちながら、吹きっさらしのホームでわたしがガタガタと震えていると、京都の方が寒いでしょ!と言われる。わたしの体感では全くそんなことはない。靴を脱いで寺の板間にあがらない限りは、京都よりも東京の方がずっと寒い。


なお、天気予報の客観的数値で見ても、京都と東京のいずれよりも、わたしの地元の北の街のほうが寒い。日本海側の北のほうなので毎日ドカドカ雪が降るし、冬に青空が拝めるのは何日間かに一瞬だけだ。でも雪のおかげで湿度はある。そのせいか、東京の方が地元よりも寒いんじゃないかと思ってしまう時がある。地元ではブリザードのなか徒歩で通学していたはずなのに、記憶がいい感じになるように上書きされている。


までも、湿度以外にもう少し真剣に考えてみると、外にいる時間・装備・活動量の違いが影響しているんだとは思う。地元は車社会なのでそもそも外にあまり出ない(ブリザード通学はたまの車で送ってもらえなかった日のことだ)。また、外に出るときは服の中に雪が入り込まないようにするために、自ずと体を包み込んで隙間風を入れない装備になる。外に出る時は単に歩行するのではなく、雪道を慎重に、でも限られた時間で移動するためにスピーディーに歩かなければならないので、体のさまざまな筋肉が呼び起こされる。外に出るその他主な理由は雪かきとなるので、その場合は雪の中で汗をかくほど体を燃やしている。


身なりに気を使ったコーディネートでの通勤や、あったかい電車やオフィスの中での快適さを優先して軽めの服装を選び、風を防げないホームで微動だにせず何分か列に並ぶこと。通勤時の寒いシチュエーションを考えると、時間・装備・活動量のいずれもが、北の街よりも寒くならざるを得ない状況になっているじゃんか。なぜ東京の冬が寒いと感じるのか、ここで書き出してみてやっとわかった気がする。とはいえ電車最寄り駅まで車で移動するわけにもいかないし、駅まで走るってのもないし、できるとしたら装備なんだろうか。どちらかといえばおしゃれが好きな方なわたしなので、どこまで機能性を追及できるのか…。


くもり空を惜しんで青空を恨みそうなここ数年だったが、うまく工夫して、ピュアに青空をよころべるようになりたいなあ。


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