見出し画像

未経験者のポケモン

仕事を休みはじめて最初の頃は、うつ状態により物事に集中することが難しかった。蓋をされた暗い鍋の中で、ぐらりぐらりと揺り動かされているような、目の前の何事も感じ取れないような日々が続いた。本当にひどい時は大好きだった料理なんて取り組むことすらできなかった。少し回復しても、見えているのに見えていないような視野で、指が危ないような気がしながら、何とか目線を定めて野菜を切るのがやっとだった。


物事にどれぐらい集中できるかを測るため、できるときに何らかの作業をするよう医者に言われた。はじめは録画したテレビ番組やドラマを見るのにも苦労して、1時間番組を一度に見ることができなかった。しかも、それまでは楽しく見ていた番組であるはずなのに、内容が全く頭に入ってこなかった。うつは脳の問題だと最初の診察で言われたきがするが、本当にそうなんだと思った。テレビすら見れないのは、もはや気持ちの問題ではないよ。


テレビも映画もおもしろくなくなって、わたしが取り組んだ作業はゲームだった。普段ゲームは週末に、本当にやることがなくなったときにするぐらいだったが、休職を経験した友人が休んでいる間にやっていたと聞いたので、久しぶりのまとまった時間に試してみようと思った。そこでようやっと、人生で初めてその面白さを知った、ポケモンの。


わたしは完全にポケモン全盛期世代だと思うが、ポケモンパンについてくるシール以外でポケモンに触れることがない人生を過ごしてきた。幼少期に家にあったゲーム機はプレステで、DSが出るまで任天堂の製品は花札しか家になかった。DSが大流行してもなぜか、偶然に偶然を重ねて、周囲にはポケモンのゲームの話をする人間はいなかった。みんなが持っているからわたしも欲しい、で何事も手に入れたり手に入れられなかったりした年齢で、なぜかポケモンのゲームだけは、周りのみんなが持っていなかったのである。環境ってデカい。


仕事を休む数ヶ月前、週末の過ごし方に困って「ポケットモンスター バイオレット」をノリで買っていた。幼少期にプロアクションリプレイを使いまくって、友達と通信対戦をしていた夫がやりたいと言ったからだ。夫は数時間プレイしたところで、幼少期のような情熱は持てなくなったことに気づいたようで、その後は週末の過ごし方に困り続けたわたしが手をつけた。


ポケモンのイロハをわからずに自己流で進めたので、かわいい野生のポケモンに出会ったらゲットした。お気に入りはドオー。かわいくないポケモンは倒した。ケンタロスの群れは怖かったので逃げた。一戦一戦タイプ相性を表で確認しながら、自己流でもストーリーは前に進んでいったが、休職中にプレイした追加DLCで躓いた。夫にこれだけは捕まえておけとおすすめされ、頼みの綱にしていたガブリアスでは、勝てなくなった。


夫に進捗報告をしたら、「努力値」について説明された。なんだかうちのドンファンは守りが強い気がする(ゴマゾウの時はかわいかったので捕まえていた)と言ったら、「種族値」と「個体値」について説明された。そして「6Vメタモン」の存在と「厳選」について説明された。うちのドオーちゃんは「種族値」も「個体値」もイマイチであることが告げられた。でも型通りに育成すれば使い道はある、それぞれのポケモンに役割を持たせるのが大事。うちのドオーちゃんの「とくせい」はなんなのか、「どくのとげ」はハズレだね、等々。


どれも夫の説明いちどきりでは理解できなかったので、ネットの攻略サイトやYouTubeで勉強した。世界大会の動画も見たが、素人にはわからない超高速の攻防だった。それでも気づいたことは、これ「環境」も大事なんじゃないのか?ということだった。ガブリアスで勝てる時代は終わっているようだった。時代はハバタクカミだしウーラオスだしヘイラッシャだった。


攻略サイトでは、ポケモンの造形の愛らしさをよそに、そのコミュニティの中で生み出された独特の用語が並べ立てられ、相当な時間的努力が必要な作業をやり遂げている人たちがこの世にはたくさんいることを示していた。しかもそれらの情報はスカーレットバイオレットが発売されてから1年以上経っても、更新され続けている。夫のアドバイスは幼少期の経験に基づいているだけであり、現代に通用するものでなくなっているのは当然だった。


夫に現在の「環境」の話はしたが、認めたくないのか、俺がやる、と適当に努力値が振られたガブリアスを携えてDLCラスボスに立ち向かう。何度戦っただろうか。何日か格闘して、見ているわたしも飽きてきて、風呂に入っていたら最後の敵は倒されていた。オールドファッションなパーティーにこだわり、げんきのかけらとげんきのかたまりを多分に消費したそれは泥試合だったが、夫は戦いに勝った。だが、勝負に負けたことを認めるように、夫はコントローラーを手にしたままぐったりと横になっていた。


バイオレットはわたしにとって最良のおためし版となった。最後の敵を自分で倒せなかったからこそ、次はがんばりたい!と思える。いまから「種族値」「個体値」「努力値」を気にしてバイオレットをやり直すのは、休職期間がさらにあと1年はないと厳しいと感じたので、次作からは多少気にしてやろうと思っている。つい先月、『Pokemon LEGENDS Z-A』が2025年に発売されることが発表された。


当然わたしはバイオレット以外をやっていないので、XYのリメイクなんだと言われてもよくわからないし、ブラックホワイトのリメイクじゃないことを残念に思ってもいない。だがとにかく新作が来年に出ることがわかって、心躍った。ドラえもんの映画みたいに、毎年新作があるものではないことすら知らなかったので、たまたま今年現行の最新作をプレイして、来年また新しいのができるのは運が良いのだ。


1日30分から始めたゲームは、最終的に1日3時間はできるようになった。バイオレットをクリアしたあとは、『ドラゴンクエストⅪ過ぎ去りし時を求めてS』をプレイした。これもまた、歴史あるゲームを、理を知らずにプレイするとどこかで躓くことを教えてくれた。


ゲームによって3時間の作業ができることがわかったその後、作業の強度を上げるために、わたしは大量の本を読むことになるのであった…。


大量の本の話はまたいつか。

この記事が参加している募集

心に残ったゲーム

ゲームで学んだこと

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?