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2024年2月の記事一覧
同業者たちへの自然な敬意を。
漫画家さんは、お互いのことを「先生」と呼ぶ。
手塚先生、赤塚先生、萩尾先生、みたいな神さまたちのことはもちろんのこと、ベテランの漫画家さんが若手の漫画家さんを呼ぶときにも、公の場では「○○先生」とつける。ソーシャルメディア上で、そのやりとりをよく見かける。
小説家が互いに「先生」をつけて呼ぶ姿は、ほぼ見かけない。よほどに私淑しているときにはそう呼ぶのかもしれないけれど、うーん。たとえば大学に籍
家に帰ってワッサンを食べよう。
年齢って、ふしぎなものだよなあ。
たとえば自分が小学生や中学生時代に活躍していたアイドル。それは歌手でもいいし、役者さんでもいいし、甲子園のヒーローでもいい。彼らや彼女らのなかには、いまも表舞台で活躍されている方が当然いる。たくさんいる。で、芸能ニュースみたいなやつでその方々の近況が報じられると、現在の年齢が書いてある。
なんだ、めちゃくちゃ同世代じゃん。
そうびっくりする自分がいる。なんか
AIが人間の脳を超えたとしても。
小学生のころ、究極のロボットについて考えていた。
たとえば鉄腕アトム。あるいは機動戦士ガンダム。そしてみんな大好きドラえもん。これらはみんな原子力、つまり核エネルギーによって動いているとされていた(東日本大震災を経た現在、ドラえもんの動力源については不明扱いになっているそうだ)。当時、子ども向け科学雑誌や学習まんがでは、原油資源があと数十年で枯渇すると危機感を煽りつつ、原子力のことをほとんど無限
そこに正解はいらないのだ。
「女性は『答え』を求めているのではなく、共感を求めているのです」
男性読者向けの恋愛指南やコミュニケーション術系の本に、よく書かれる話だ。たとえば女性が、風邪を引いたかもしれないと訴えてくる。そこで男性は「この薬、けっこう効くよ」と風邪薬を手渡す。違うのだ、と指南本は言う。女性はそういう問題解決の答えを求めているのではなく、「大丈夫?」のひと言がほしいのだと。
男女を問わずそれはそうだろうなあ
喜々とすることの危機。
こういうときの自分は、ロクなことをしない。
何十年も生きていると、そして何十年分の失敗を積み重ねていくと、だいたいその傾向が見えてくるものだ。まあ、ロクなことをしないというのは、言い換えるなら「短絡的な行動に出てしまう」ということなのだけど、だからといって「短絡的な行動に出ちゃ駄目だ」と自分に言い聞かせたところで、それが短絡であるのかどうか、その時の自分には判断がつかない。そういう観念的なことば
ローマへ続く千里の道も。
千里の道も一歩から、ということわざがある。
どれほど壮大な目標であっても、目の前のことを一歩ずつ地道に積み重ねていくことが大切なんだ、といった意味のことわざだ。この時代までことわざとして生き残っているだけあって、まったくそのとおりだと思う。「千里」と言われたときの距離のわからなさも、なんだかいい。西遊記における天竺みたいな途方のなさが、千里にはある。
しかし、このことわざを聞かされて「よーし、
レア肉をめぐる情報戦。
昨夜は、キムチ鍋を食べた。
わが家ではキムチ鍋を、めったに食べない。実際、つくったのは5年ぶりとか6年ぶりとか、それくらいぶりのことだ。下手なキムチを買ってしまうと酸味のつよいばかりの鍋になること、そしてすぐに煮詰まってしまうこと、部屋が臭くなってしまうこと、などがご無沙汰の理由である。
一方で鍋そのものは、よく食べる。とくにこの季節だと、週に一回以上はかならず鍋を食べるようにしている。楽だし
反省することについて、反省してること。
いろいろと、反省することってありますよね。
「あのときこんなふうにしておけばよかったなあ」とか、「あれは失敗だったなあ」とか、「もう少し真剣にやっておけばよかったなあ」とか。どれだけ順風満帆そうに見えるすごい人だって、なんでもかんでもうまくいってるはずはなくって、少なからず「あのときの自分」を反省する機会はあると思うんです。
それでたぶん、反省にはふたつの種類があります。
ひとつは「もっとが
計画してなかったことのできる空白。
今晩ぼくは、もつ鍋を食べる。
専門店に行くのではなく、自宅で食べる。昨夜のうちから準備万端、材料を買い揃えている。この数週間、ずっと食べたかった。トゥデイ・イズ・ザ・デイ。そりゃあビールも飲むだろう。とてもたのしみだ。
このようにして「今晩食べるもの」が決まっていると、一日ずっとたのしく過ごせるだけではなく、副次的なメリットも生まれる。
昼飯を選ぶのが楽なのだ。昼になにを食べようか迷いはじめ
「世界はいいから、お前はどう思ってるんだ?」
あれって誰が呼びはじめたのだろう。
小澤征爾さんが逝去された。メディアでは盛んに「世界のオザワ」との表現がくり返されている。国際的に活躍した、世界的に抜群の知名度があった、という意味なのだろう。黒澤明監督を「世界のクロサワ」と呼んだり、北野武さんを「世界のキタノ」と呼んだりするのもよく目にする。
しかし、たとえばアメリカ人が黒澤さんのことを「世界のクロサワ」と呼ぶことはないと思われる。それはぼ
封書のなかのカミソリの刃。
ほとんど都市伝説のような、けれどもたぶんほんとうにあった話だ。
昭和の時代、ドラマや映画や小説のなかでしばしば「ファンレターのなかにカミソリの刃が入っている」という描写があった。なにも知らずに開封したアイドルや俳優さんがそれで怪我をするところまでが、セットで描かれていた。任侠映画や社会派映画だとここに、銃弾が入っていたりする。銃弾そのものに危険はない。相手を直接傷つけるためではなく、恫喝するため
芸人さんの家賃と、おのれの振る舞い。
芸人さんたちはしばしば、自宅の家賃について語る。
とくに大阪から上京してきた芸人さんたちにその傾向が強い。なんでも彼らのあいだでは「ちょっと無理をするくらいの家を借りろ」との教えがあるのだそうだ。毎月の支払いにヒヤヒヤするくらいの家に住む。住むところがなくなるプレッシャーを日々感じながら仕事に臨む。そうするとやがて、仕事が家賃に追いついてくる。そして追いつかれたならまた、「ちょっと無理をするくら
砂糖やバターはおいしいけれど。
砂糖はおいしい。
誰もが知っていることだ。砂糖が入った菓子、砂糖が入ったジュース、砂糖が入った煮物。これらはだいたいおいしい。そしてまた、バターをおいしく食べる人も多い。砂糖に較べれば好き嫌いもありそうだけど、バターの入った菓子やバターを使った料理には、「そんなのずるいよ」と言いたくなるくらいストレートな、問答無用のうまさがある。
しかし不思議なことに、砂糖をそのままじゃりじゃりと手づかみで食