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まだ靴ではない。

オンラインストアで、あたらしいスニーカーを買った。たぶん明日届く。

スニーカーが届くと当然、靴紐を通す。リビングのソファに座って黙々と靴紐を通す。興味津々の犬にちょっと匂いを嗅がせる。通しおわったらそこから、すぽんと履いてみる。「おお」とか「へえ」とか言いながら、足踏みをする。さらにリビングから玄関へ、玄関からリビングへと、ぺたぺた歩きまわる。「はあー」とか「なるほどー」とか、よくわからない感心の声を漏らしながら歩きまわる。そして存分に歩きまわったのち、玄関でそれを脱ぐ。真新しいスニーカーが、使い古した靴のなかでぴかぴかと光っている。

もしかしたらこのひとときを味わいたくて、自分は靴を買っているのかもしれない。靴を買っていちばんうれしいのは、試し履きの時間なのかもしれない。それを履いて一度でもアスファルトを踏めばもう、ただの靴になってしまう。しかし家のなかでぺたぺた試し履きしているときの、土を知らない靴は「履くおもちゃ」に近い。まだ靴ではないのだ。

プラモデル愛好家たちの一部に、組み立てることなく箱のまま保管している人たちがいる。むかしはそれを、売却時のことを考えた投資的収集のように思っていたけれども、そうじゃないのかもしれない。組み立ててしまえばそれは、ただの戦車や飛行機、そのチープな縮小モデルになる。組み立てなければそれは、もっと純粋な「たのしみ」として生活空間に残される。かたちにしないことのたのしさ、機能を果たさないことのたのしさ、みたいなものがあるのだろう。


それでいうと本も、書く前がいちばんたのしい。こんなふうにしてみよう。こんなこともできるかも。そうやって構想を広げている期間がいちばんたのしい。構想を練っていると、とくにおもしろいアイデアが浮かぶと、つい書きたくなる。けれど、書きはじめるとそれは、ただの原稿になってしまう。一文字書くごとに、無限にあったはずの可能性が狭まっていく。

「まだ原稿じゃない」の時間が、いちばんもどかしく、いちばんたのしいのだ。