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2023年12月の記事一覧
エスカレーターに吹き抜けた風。
渋谷駅のエスカレーターで、母親と女の子の二人組を見かけた。
これから買いものにでも行くのだろうか。母親はまっすぐに前を見ている。女の子は母親の黒いダウンコートのすそをひっぱり、はずむ声で話しかけている。女の子は言う。
ねえねえ、知ってる?
三学期ってねえ、あっという間に終わっちゃうんだよ。
もう、ぴゅーって終わっちゃうんだよ。
そしたら◯◯ちゃん(じぶんの名前)、すぐ四年生になるんだよ。
それでも現実を動かしていこう。
思えば移り気な子どもだった。
大人から「将来の夢は?」と訊かれるたび、違うことを答えていた。漫画家になりたい。科学者になりたい。発明家になりたい。プロレスラーになりたい。総理大臣になりたい。宇宙飛行士になりたいと答えたことも、たぶんあった。小学校の卒業文集では、将来の夢として「ゲームプログラマー」の名を挙げていた。さすがはファミコン第一世代である。
いまにして思うとこれは、すべてが「身近にいな
いま風邪を引いてる人たちへ。
ものすごく当たり前のことを言いますよ。
誰だって、風邪を引くじゃないですか。あと、お腹を壊したりするじゃないですか。それで、風邪を引いたりしたら「きのう湯冷めしちゃったかなー」とか、「満員電車で伝染されちゃったかなー。やたら咳き込んでる人いたしなー」とか思うわけじゃないですか。あるいは「ここんとこ忙しくしてて、体力落ちちゃってるのかなー」とか。
でも、どうなんだろうなあ。たとえば明日、井上尚弥
青空が冬の季語になるとき。
ビートルズに、「because」という曲がある。
直訳するなら「なぜならば」。歌詞の意を汲みゃ「そのせいで」。そんなの野暮だし英語の「because」。ほぼ中学英語の単語のみで歌われる、それはそれはシンプルにして荘厳な、後の『ジョンの魂』から『イマジン』期への萌芽とも言うべきジョン・レノンの手によるバラードである。
歌詞としては「地球がまわるそのせいで、ぼくはうっとりしてしまう」「風が強いその
失言が飛び出す原因としての不安。
失言する政治家の気持ちが、少しだけわかる。
たとえばトークイベントに登壇する。雑誌の取材を受ける。ラジオの収録に参加する。あるいはセミナーみたいなやつの講師としてお呼ばれする。もう少し身近な例をあげるなら、披露宴で友人代表のスピーチを頼まれるとか、大勢の前でプレゼンテーションをするとかも、同じだ。
人前に立ってなにかをしゃべるとき、そこが荒れ果てた暴力教室でもないかぎり、基本的に人びとはだまっ
ああ、あこがれのデイリーポータルZ。
ああ、おれはこれになりたかったんだよ。
当時そう思ったことを、よく憶えている。「当時」というのがいつかというと、たぶん2002年とか2003年だ。自分のプロバイダが niftyで、当時は仕事にもプライベートにも同じ niftyのアドレスを使っていた。それもあってよく覗いていた @niftyのポータルサイト内にある日、「デイリーポータルZ」なるサイト? を発見した。
ふざけていた。徹頭徹尾くだら
これ以上ない休日のサングリア。
もう10数年前の話になる。
妻とふたりでぶらぶらと、モントリオールの街を歩いていた。季節はたしか5月下旬。そしてモントリオールといえば当然、カナダ東部の都市だ。日本と違って肌寒いくらいなのかもな。なんて事前の予想とは裏腹に、Tシャツでも汗ばむほどの陽気だった。
陽にやられ、歩き疲れたぼくらは、適当なレストランに避難した。車道までずいずいと領土を拡張したオープンテラスのレストラン。平日だったはず
知らないことと、知ってること。
鉄道ファン、いわゆるところの「鉄オタ」という人たちがいる。
オタクという名前が普及するはるか以前からその種の人々はいて、たとえばぼくが子どものころにも『銀河鉄道999』の影響もあってか、ブルートレインと呼ばれた寝台列車が大ブームとなっていた。わが家にはブルートレインで全国をめぐる、人生ゲームの鉄道版みたいなボードゲームもあり、友だちや親戚が集まったおりには、おおいに遊んでいたことを記憶している。
わたしもいろんな、そのひとり。
いろんな人がいるもんだなあ、と思わされるのが犬の散歩だ。
犬を連れて歩く夜道、はるか後方から歌声らしきものが近づいてくる。声の主はたいてい、自転車を漕いでいる。こちらへと近づくにつれ、それが歌だとわかる。熱唱、ではない。しかし自転車を漕いでいること、またもしかするとイヤホンを装着していることもあってか、鼻歌をはるかに上回る声量で歌っている。ノリノリのパンキッシュな歌であることは少なく、バラードで
『嫌われる勇気』の刊行から10年が経ちました。
10年ひと昔、というけれど。
なるほど、ほんとに昔だ。『嫌われる勇気』の刊行から、きょうでちょうど10年が経った。刊行は12月だったけれど、40歳の誕生日を迎える直前の夏に書き上げた本だ。当時から日記をつけてればよかったなあ、と思う。あのときの自分がどんなことを考えていたのか、もはやほとんど憶えていない。
手応えはあった。ものすごくおもしろい本ができた、という実感はあった。もうこんな本は二度と
NHKに見る、話しことばと書きことば。
新聞各社の電子版とは別に、NHKニュースの電子版を見ている。
公共放送ということもあってか、批判や攻撃のトーンが薄く、またみずからの主張を声高に訴えることもしない。よくも悪くもお行儀がよく、なるほどNHKだなあ、と思う。
けれどもまあ、ちょっと読んでもらえばわかるように、このニュースサイトが醸し出す「お行儀のよさ」は、NHKの報道姿勢によるものというよりもむしろ、文体の問題だったりする。放送局
友だちをつくるのと仲間をつくるのはどちらがむずかしいか。
「おれたち、仲間だよな」「わたしたち、友だちだよね」
実際にだれかと言い合った記憶は乏しいものの、ドラマや小説やマンガなどでよくあるセリフだ。そしてなんとなく、これまでのぼくは友だちよりも絆のつよいものとして、仲間ということばを認識してきた気がする。だれかについて聞かれたときに「あいつは……友だちっていうより、仲間って感じですかね」みたいな。
しかし現実世界において、仲間をつくるのと友だちをつ
インタビューはたのしい。
今週は取材を受けることが続いた。
月曜日が福岡のラジオ、水曜日が硬派な月刊誌、本日がオウンドメディア。いずれも本に関する取材で、とてもありがたい。
本を出したり、映画が公開されたり、アルバムが発売されたりするとみな、プロモーションと称して各メディアからの取材を受ける。ふだんはあまりメディアに出てこない大御所でも、プロモーションとあらばインタビューに応じてくれる。ぼくもライターとして、新刊や新作