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わたしもいろんな、そのひとり。

いろんな人がいるもんだなあ、と思わされるのが犬の散歩だ。

犬を連れて歩く夜道、はるか後方から歌声らしきものが近づいてくる。声の主はたいてい、自転車を漕いでいる。こちらへと近づくにつれ、それが歌だとわかる。熱唱、ではない。しかし自転車を漕いでいること、またもしかするとイヤホンを装着していることもあってか、鼻歌をはるかに上回る声量で歌っている。ノリノリのパンキッシュな歌であることは少なく、バラードであることが多い。そしてドップラー効果よろしく、エモエモな盛り上がりを見せつつ犬とぼくを追い越し、切ない余韻を残して暗闇のなかへと消えていく。「わあ。人がいるから声をひそめよう」とか「きゃあ。歌ってるの、聞こえちゃったかな」とかの羞恥は、まるで感じさせない。ここで声量を落としたら負けだ、くらいの勢いで走りすぎる。

本来であればここで、歌われている曲の名前も書きたいところだ。「交差点の先から近づいてくるその人は『いとしのエリー』を歌いながら……」とか書きたいところだ。しかし、夜の散歩を3回やれば一度は出くわす自転車のうた歌いでありながら、ぼくが知っている歌に遭遇したことは一度もない。それというのも歌う自転車乗りは、ほとんどが高校生なのだ。彼らのあいだで流行っている曲を、ぼくはなにも知らないのである。

あるいはまた、犬との散歩中によその犬と出くわすこともある。これはもう毎日毎回、どれほどマニアックな裏路地を選んで歩いていても、何度となく出くわす。

残念ながらうちの犬は、よその犬が苦手だ。尻尾を巻いて道を譲ったり、よそよそしく振る舞うくらいだったらいいのだけども、恐怖と興奮のあまり大声で吠え立ててしまう。そしてビーグルという犬はロングホーンをかかげるスタン・ハンセン並みに声が大きく、露骨に近所迷惑になる。道を歩いている品のいい人が「ぎゃあ」と声をあげるほど、その吠え声は大きい。

なのでよその犬を発見すると、そそくさとまわれ右をして立ち去るようにしているのだけども、たとえば犬が用を足したりしていてそれが間に合わないこともある。そういうときには「すみませーん。うち、犬が苦手なんで(近づけないでください)」と飼い主さんに声をかけ、通り過ぎてもらうようにしているのだけど、けっこうな頻度でおのれが犬を近づけてくる飼い主さんたちがいるのだ。「あー、大丈夫ですよー」なんて言って。いやいや違う違う、そっちは大丈夫でもこっちが大丈夫じゃないのだ。案の定、うちの犬は大興奮して吠えまくる。その興奮を静めるため、抱きかかえて退散しなければならない羽目になる。わからない。あの「あー、大丈夫ですよー」がまるでわからない。


かく言うぼくとて、傍から見ればおかしな部分があるだろう。とくにぼくは犬としゃべりながら散歩してるし、犬としゃべるときには博多弁になってしまう。犬がおしっこをすれば、「またすると?」。犬がぐいぐいリードを引っぱれば、「そげん急がんでよかろうが」。犬が笑顔でこちらを見上げれば、「お散歩うれしいと?」。しかも犬(ぺだる)のことを「ぺーちゃん」と呼び、犬撫で声ははなはだしく、それを隠すつもりもあまりない。きっとご近所じゃ、犬連れの博多弁おじさんとして認識されていることだろう。

博多弁で呼びかけられるぺーちゃん

いろんな人がいる。わたしもいろんな、そのひとりなのである。