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古賀史健

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古賀史健の note、2018年以降のぜんぶです。それ以前のものは、まとめ損ねました。
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2023年3月の記事一覧

おれもお前もとんかつ野郎。

おれもお前もとんかつ野郎。

こういう先入観はよくないぞ、と思った。

本日、会社近くの大衆的なとんかつ店で昼ごはんを食べていたときのこと。隣の席にスーツ姿の男性ふたり組が座った。風体、また会話の内容から察するに上司と部下の関係にあるふたりらしい。すると上司らしき男性が、部下らしき男性を、軽く説教しはじめた。ちょっと、部下を小馬鹿にしたような口ぶりの説教だった。

「なーに偉そうに説教してやがんだ、てめえ」

とんかつを頬ばり

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なぜ思い出話は後輩のものなのか。

なぜ思い出話は後輩のものなのか。

思い出話は後輩のもの。

以前に、そんな話を書いたことがある。ほぼ日刊イトイ新聞の読み直し企画「私のほぼ日プレイリスト」に寄せた原稿だ。

イラストレーター湯村輝彦さんと糸井重里さんの対談、「ごぶさた、ペンギン!」を紹介するにあたり、ぼくはこんなことを書いた。

この「思い出話は後輩のもの」という視点は、自分でも案外気に入っていたのだけど、なぜそれが「後輩のもの」なのかについては、よくわからないま

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こんなふうにも、言えるのかもしれない。

こんなふうにも、言えるのかもしれない。

エッセイと小説は、なにがどのように違うのか。

「違うこと」が当たり前すぎて、あまり語られることのない話題じゃないかと思う。しかしながら物事は、あからさまな違いのさまに着目することで、それぞれをそれぞれのことばで定義することが可能になったりする。

一般的な理解からいうとエッセイは、書き手である「わたし」を主人公とする一人称の書きものである。そして「わたし」を主人公としているかぎりにおいて、その内

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いかにもSFらしい展開だけどさ。

いかにもSFらしい展開だけどさ。

あれは2005年くらいのこと、だったかなあ。

仲のいい編集者から電話がかかってきた。「古賀さぁ〜ん、ちょっと聞いてくださいよぉ」。困り果てた声で、彼は語り出した。日本史関係の本をつくるにあたって、ライターさんを入れた。「最近、古賀さん受けてくれないから」若いライターさんを入れた。はじめて一緒に仕事をするライターさんだった。けっこう締切をオーバーしたのち、彼は原稿を上げてきた。読んだ。すると、なん

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がんばってる人たちよ。

がんばってる人たちよ。

いま、オフィスでコーラを飲んでいる。

とても好きな飲みものだけれども、飲む機会は意外と少ない。ペットボトル飲料を買うときのぼくは、「猛烈に喉が渇いている」か「でたらめに寒い」かの、いずれかだ。前者であれば大容量の麦茶を買い、後者であれば紅茶やホットレモネード的なやつを買う。いずれにせよコーラの出番は少ない。さらにまた、食事に制限をかけることはしないものの、糖分の多い清涼飲料水を飲むことはなんとな

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欲望のインフレ、不安のデフレ。

欲望のインフレ、不安のデフレ。

「あのころのおれはバカだったなあ」と思う。

こんなふうに書くと「いまのおれはかしこい」と言ってるようなものなんだけど、そうじゃない。バカのレベルが違ったのだ。フリーランスになってから半年ほど経ったころ、おおきめの仕事が入った。とある私立大学の、入学案内パンフレットをつくる仕事だ。大学の先生方にインタビューし、運動部や文化部のキャプテンにインタビューし、それ以外の方々にもたくさんインタビューして、

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これは綱渡りではなく。

これは綱渡りではなく。

綱渡りのことを英語では、タイトロープと言う。

もともとは綱渡り用の「ぴんと張られたロープ」のことであり、いつしかそのロープ上を歩く綱渡り自体を、「タイトロープ」と呼ぶことになった。別に調べちゃいないけど、たぶんそういうことなんだろう。

ぼくはこの「タイトロープ」ということばが大層お気に入りである。日本語で綱渡りと言ったとき、どうしても綱を渡る曲芸師の絵が想像される。やじろべえみたいに長い棒を持

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そこでなにを育てるか。

そこでなにを育てるか。

読み返すことがあったときのために、いちおう書いておく。

きょうはWBCの決勝だった。日本対アメリカで、午前8時から(実際には8時20分過ぎから)試合がはじまった。数日前に乗ったタクシーで、運転手さんがしきりに大谷選手とヌートバー選手の話をしていた。試合の結末、そして最終イニングについては、もう書かない。忘れるはずがないからだ。

試合後のインタビューや記者会見で、たくさんの選手・監督・コーチ陣が

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落語は気仙沼にかぎる。

落語は気仙沼にかぎる。

先の週末、気仙沼に行った。

2012年の「気仙沼さんま寄席」から続く、立川志の輔さんの独演会「おかえり寄席気仙沼」を観るための小旅行だ。皆勤賞というわけではないものの、志の輔師匠にかこつけて気仙沼に行く理由を自分につくり、気仙沼の方々とのつながりを切らさずにいる。もしも師匠の落語がやってなければ、どのタイミングでどうあそびに行くべきかわからず、なんだかんだと足が遠のいてしまっていたかもしれない。

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1998年のカレーライス。

1998年のカレーライス。

勢いで口走った啖呵にしては、あまりにおおきな岐路だった。

仕切り板一枚を隔てただけの、ミーティングスペース。24歳のぼくは、勤め先の社長からかなり理不尽な理由で、長い叱責を受けていた。ぼくは間違っていない。ここで謝っちゃいけない。そう決めていたぼくに、社長の言葉は人格否定の烈度をぐんぐん上昇させていき、ついには「辞めてしまえ!」と口走った。売り言葉に買い言葉とは、おそろしい現象である。ぼくは反射

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その名前を選んだ理由。

その名前を選んだ理由。

ワールド・ベースボール・クラシック。略してWBC。

よくわからない名前である。ちなみにサッカーの国際大会、いわゆるワールドカップの正式名称は「FIFAワールドカップ」だ。FIFAとは国際サッカー連盟の略称であり、FIFAワールドカップとは「国際サッカー連盟が主催する、ナショナルチームによる国際選手権」という意味になる。これに類するものとして野球界には「IBAFワールドカップ」なる大会があった。I

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おれもやるよ。黙ってやるよ。

おれもやるよ。黙ってやるよ。

世間の話題についていけてない。

あの映画がおもしろかったとか、このドラマがやばいとか、その手の話題についていけてない。「WORK or DOG」。それが(とくに今年の)ぼくの日常である。ものを書く人間として、あるいはふつうに人間として、こうした状況はとてもよろしくないことのように言われる。アンテナを立て、世間の流れをちゃんと知り、さらには生活人としてのゆとりを持っていないと結局いい仕事もできない

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損と得の関係。

損と得の関係。

○○したことないやつは人生損している。

とても嫌な、大きなお世話だとしかいいようのないフレーズである。「酒を飲めないやつは人生損している」とか「あそこの鮨を食ったことないやつは人生損している」とか、その手合いの話だ。きみよ、どうして「おれは酒が飲めて得をしてるなあ」で話を済ませられないのか。どうして人様の人生にずかずかと踏み込んで「お前は損をしている」なんて宣言をする必要があるのか。してねえぞ、

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おとなになったなあ、と思う。

おとなになったなあ、と思う。

犬の散歩コースは、だいたい決まっている。

住宅街を歩いて、高校の裏道をとおって、また住宅街を進んで、小学校の隣を抜けて、公園にたどり着く。公園に着くと犬は、ひたすら土や落葉の匂いを嗅ぎ回る。いろんな匂いが落ちているんだね、と思う。だれかが落とした匂いを、拾い集めているんだね、と。

帰りの住宅街を歩くなか、匂いを拾うのはもっぱら人間の仕事である。夕方ごろの散歩道には、たくさんの匂いが漂っている。

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