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こんなふうにも、言えるのかもしれない。

エッセイと小説は、なにがどのように違うのか。

「違うこと」が当たり前すぎて、あまり語られることのない話題じゃないかと思う。しかしながら物事は、あからさまな違いのさまに着目することで、それぞれをそれぞれのことばで定義することが可能になったりする。

一般的な理解からいうとエッセイは、書き手である「わたし」を主人公とする一人称の書きものである。そして「わたし」を主人公としているかぎりにおいて、その内容は実体験に根ざしている。少なくとも読者は、その前提で読んでいる。

一方で小説は、だれを主人公としてもよい創作物である。私小説という手法もあるにはあるものの、基本的に「つくり話」であることを前提に、読者は読む。というか、その大半は架空の人物を主人公とした、架空のお話として書かれる。

……といった外形的な説明だけでは、エッセイに独特の「エッセイらしさ」や、小説に漂う「小説らしさ」を言い表すことがむずかしい。そこでぼくはこう思うのだ。

おおきな物語を描くか、ちいさな瞬間を描くか。

エッセイは、日常のなかにある「ちいさな瞬間」を描いている。そして小説は「おおきな物語」を描く。

このとき小説は、「おおきな物語」のなかにたくさんの「ちいさな瞬間」を詰め込んでいく。物語のおおきさよりもむしろ、繊細に描かれる瞬間のありようが読者を魅了する。そしていいエッセイは、「ちいさな瞬間」のなかに「おおきな物語」が広がっている。瞬間のおもしろさよりも、広がる物語の奥行きが読者を魅了する。

どちらも「おおきな物語」を描き、「ちいさな瞬間」を描いている。けれども入口の違い、もしくは容れものの違いが、それぞれの「らしさ」をつくっている。