見出し画像

欲望のインフレ、不安のデフレ。

「あのころのおれはバカだったなあ」と思う。

こんなふうに書くと「いまのおれはかしこい」と言ってるようなものなんだけど、そうじゃない。バカのレベルが違ったのだ。フリーランスになってから半年ほど経ったころ、おおきめの仕事が入った。とある私立大学の、入学案内パンフレットをつくる仕事だ。大学の先生方にインタビューし、運動部や文化部のキャプテンにインタビューし、それ以外の方々にもたくさんインタビューして、それぞれまとめる。かなりの突貫工事を要するスケジュールだったものの、ギャラが80万円だった。

80万円を受け取ったぼくは「わーい。これで3ヶ月はあそんで暮らせる」と思い、ほんとに3ヶ月間なにもしなかった。本を読んだり、映画を観たり、大学生のように暮らした。そして3ヶ月が過ぎようとしていたある日、いまさらのように「ヤバッ、来月どうしよう?」と困り果てた。実際にどうしたのかは、もう憶えていない。ただ(自分にとっての)大金が転がり込んできたからといって、あそんでいてはダメなのだということだけは学べた。

世のなかはそういうバカばかりではなく、もうちょっとだけかしこい人たちによって構成されている。そのためよく言われるのが「80万円なら80万円が入ったら、100万円ほしくなるのが人間なんだよ」的な言説である。

つまり、人間の欲望は上へ上へとインフレーションを志向し、どこまでいってもおさまることがないのだ、というわけである。たしかにそうとでも考えないと説明のつかない大富豪は世のなかにたくさんいて、たぶんイーロン・マスクさんなんかもぼくらよりずっと忙しく働いている。ありえないほどの大富豪でありながら、もっともっととインフレを起こしている。

しかし、大抵の人が「それでも働く」のはインフレする欲望の力というよりも、デフレを起こした不安の力なのではなかろうか。

80万円よりも、100万円。100万円よりも、120万円。

これは「もっとほしい」と欲望がインフレを起こしているのではなく、「これだけじゃ心配」と不安がデフレを起こしているだけではなかろうか。結果としてはどちらも「100万円ほしい」なんだけれども。


まあ、80万円をもらってインフレもデフレも起こさなかったぼくは、幸せな男だったのかもしれない。欲望をあおる商売にも、不安をあおる商売にも、どちらにも引っかかることなく好きな本を読んで暮らしてたんだしね。