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2021年2月の記事一覧
なぜ人は嘘をつくのか。
嘘について考える。
もしかしたらぼく自身、これで将来一冊の本を書こうとするかもしれないくらい、おおきなテーマだ。きっかけは、先日おこなわれた Clubhouseでの公開対談である。せっかくの Clubhouseということで対談の終盤、聴いてくださっていた方々からの、質問を受けつけるコーナーが設けられた。
すると、『さおだけ屋はなぜ潰れないのか』で有名な公認会計士の山田真哉さんから「インタビュー
腕時計をして、出かけた。
ひさしぶりに、腕時計をした。
大事な対談の収録があり、ジャケットを着て出かけたからだ。ジャケットを着るときぼくは、かならず腕時計をするようにしている。時間を確かめるためではない。袖口からのぞくシルバーの腕時計が視界に入るたびにぼくは、「よし。おれは今日、ちゃんとしてるぞ」と安心感を得る。ある種のおまじないの道具として、ぼくは腕時計を着用している。
携帯電話の普及以降、腕時計ほど個々人の価値観が
間違っていながら、正しい日本語。
普段の noteでぼくは、ぜんぶ書き終えたあとにタイトルをつけている。
話題がどこに着地するのかわからないまま書くことも多いので、最後の一文を書き終えたあと、「じゃあ、こんな感じのタイトルかな」と表題を書く。そして表題を書くにあたっては、できるだけ「バズる」ことから離れた、タイトル詐欺から離れたことばを選ぶ。ぼくはここでの投稿をバズらせたいのではなく、アクセス数を稼ぎたいのでもなく、自分の身の丈
勝ち負けを超えた「あいこ」の絶叫。
犬を連れて、公園を散歩していた。
小学校の3年生くらいだろうか。女の子がふたり、きゃっきゃと騒ぎながらジャンケン的ななにかをしていた。「アルプス一万尺」的な、ジャッキー・チェンの「少林寺木人拳」的な、互いに向き合い手刀を組み交わしあう的な振り付けとともに「♪あの〜子、どこの子、かわいくないね、てるてる坊主のモンチッチ!」と叫び、「モンチッチ!」と同時にジャンケンめいた勝負のポーズをとる。あいこで
ドタバタの正体を考えて。
なんだかずっと、ドタバタしている。
往々にしてビジネスパーソンの皆さま方はメール返信が遅れたときの言い訳として「ドタバタしておりまして、返信が遅れてしまいました!」などと書き添えるものだが、そしてご多分に漏れずぼくも、しばしば「ドタバタ」を理由に怠慢を詫びるものだが、いまのぼくはほんとうにドタバタしている。
ここで辞典を引いて「ドタバタ」の語源を調べ、それを書き写したりしていけば、いちおう読み
外国人の名前とオーディオブック。
外国人の名前について、考える。
たとえばミュージシャンの名前。サッカー選手の名前。大統領や首相や外務大臣やの名前。ハリウッドスターや監督たちの名前。あるいはプロレスラーの名前。ぼくはこれら外国の人びとについて、かなりの数の名前を正確に挙げていくことができる。読み間違えや記憶違いは、ほとんどない。
一方、作家や思想家になるとこれが怪しくなってくる。わかりやすいところでいえば、トーベ・ヤンソンさん
佐渡島庸平さんのこと。
ありがたい。ほんとうに、ありがたい。
先週末にタイトルを発表した、4月発売の新刊『取材・執筆・推敲』。この本の刊行にあたってぼくとカッキー(柿内芳文氏)は、「できることは、ぜんぶやる」を合言葉に、多くの方々のご協力を仰ぎながら、さまざまな準備を進めている。
たとえばこちら。noteさんのご協力で、3月11日(木)に刊行記念のプレ講義イベントを開催させていただくことになった。ここでは参加者の方々
新刊タイトル確定のお知らせ。
きょうの note は、完全な「おしらせ」としての更新です。
足かけ3年前にわたって取り組んできた〈ライターの教科書〉的な新刊の、正式なタイトルと発売日を発表させていただきたいと思います。本にとってタイトルは命。担当編集のカッキーこと柿内芳文氏とともに、さまざまな案を出し合い、却下し合い、また出し合い、そんなこんなのやりとりを延々と続けた挙句、たしか去年の秋くらいに「もう、これしかないだろう」と
がんばって書かない。
『徹子の部屋』が今年、番組開始から45周年を迎えたのだそうだ。
それを報じるニュースのなかに、黒柳さんのこんなコメントがあった。当日のゲストだった関口宏さんに向けて語ったことばだ。
「いちばん感心したというか、ありがたかったのは、このようにゲストの方が、ちゃんとその日に来てくださるという。これがなければ続いていきません。今日もあなた(関口)が来てくださったから、できるわけじゃない? 45年、ゲ
アウェーの場所に、踏み出そう。
過去に何度か、女性誌の仕事をしたことがある。
女性誌といっても、いわゆる女性週刊誌ではなく、女性ファッション誌だ。「どうしてお前がそんな仕事を?」と首をかしげるかもしれないが、お仕事依頼を受けた当時のぼくも、そう首をかしげた。簡単にいうと、ぼくが担当していた本の著者さんが女性ファッション誌で特集されることになり、ぜひ企画段階から入ってくれ、と依頼されたのだった。
30歳ちょっとくらいの時期だっ
「面倒くさい」ではなく「めんどい」。
めんどい。
「面倒くさい」と発話することさえ面倒くさくなってしまった人が、白旗をあげるように発話することば、すなわち「めんどい」。たしかに普段、「面倒くせえなあ」とか発話するときにも、音としては「めんどくせえなあ」と「う」を省略して言うことがほとんどで、ルビを振るような丁寧さをもって「めんどうくせえなあ」と発音するのは、いかにも面倒くさいものである。そんな「めんどくさい」をさらに略化したぐうたら