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ドタバタの正体を考えて。

なんだかずっと、ドタバタしている。

往々にしてビジネスパーソンの皆さま方はメール返信が遅れたときの言い訳として「ドタバタしておりまして、返信が遅れてしまいました!」などと書き添えるものだが、そしてご多分に漏れずぼくも、しばしば「ドタバタ」を理由に怠慢を詫びるものだが、いまのぼくはほんとうにドタバタしている。

ここで辞典を引いて「ドタバタ」の語源を調べ、それを書き写したりしていけば、いちおう読みものとしての体裁は整うのだけれども、なるべくそういうズルはしたくない。自分なりに考えるドタバタの正体を、書いてみたい。

ぼくにとってのドタバタは、ひとえにマルチタスクである。

たとえば明日までに上げなきゃいけない原稿に集中しているとき、それがどんなに忙しく苛酷な作業であってもぼくはドタバタを感じない。ではなく、「やんなきゃいけないこと」が3つや4つ重なっているとき、それによって気持ちが千々に乱れているとき、ぼくはドタバタの語を使いたくなる。つまりドタバタは、忙しさそのものをあらわす語というより、「ひとつのことに集中できないときの苛立ち」をあらわす脳内擬音に近い。少なくともぼくのなかでは。


                                             

さきほど、そんなドタバタの荒波を乗り越えて初校チェックが終わった。ここから再校、念校と作業が続いていくと思うのだけれど、今回の作業で原稿の完成度は格段に上がったと感じている。

明日、2/19(金)13:00から、そんな新刊『取材・執筆・推敲』について Clubhouse で公開インタビュー(公開対談)をおこないます。

平日の昼間ではありますが、聴ける環境にある方はぜひお聴きください。