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花粉症と赤い鼻。

花粉症である。

もともとアレルギー性の鼻炎を持っているぼくは、いつも鼻をぐずぐず言わせている。とくにハウスダスト的な粉塵にはすこぶる弱く、大掃除の折などはわかりやすく涙が滂沱し、くしゃみも止まらず、一介の役立たずに成り果てる。そしてこの数年、元来のアレルギー性鼻炎に加えて、春の花粉にまで目鼻が反応するようになってしまった。きのうの犬の散歩時には、マスクの裏側がべちゃべちゃになるまでくしゃみをくり返し、陽光に照らされたつららのように鼻から水がしたたり落ちた。目のかゆみも限界に近く、どうにもこうにも仕事にならない。

花粉症というアレルギー症状の存在を知ったのはたしか、80年代の中頃だったと記憶している。当時西武ライオンズに在籍していた秋山幸二選手は、花粉症の影響から4月はなかなか調子が上がらず、花粉が落ち着く5月になるとぐんぐん成績を伸ばし、「ミスター・メイ(5月)」とか「メイ秋山」と呼ばれていた。5月を英語で「メイ」と言うことも、花粉症なる症状があることも、そのとき知った。けれども英語の「メイ」が自分と無関係な言語であるのと同じように、花粉症という症状もまた、関東地方の屋外スポーツ選手にのみ見られる症状であって、九州に住む自分には関係ない話だと高をくくっていた。

さてさて。かように数十年前までは花粉症も、いまほどの——たとえば天気予報の折に毎回花粉情報への言及があるような——国民病ではなく、「そういう人もいる」くらいの症状だったのだけれども、そのぶんアレルギー性鼻炎への風当たりも強かったように記憶する。いつも鼻がぐずぐずだったぼくは、頻繁に鼻をかんでいたし、鼻をすすり、またこすっていた。するといつしか鼻が赤くなっていく。おかげで小学校から中学校にかけて、ぼくに対する悪口の多くは「赤鼻」だった。「♪ 真っ赤なお鼻のトナカイさんは/いつもみんなの笑いもの」というクリスマスソングがあるように、鼻の赤みはじゅうぶんな嘲笑の対象だったのだ。


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そういえば、お前も鼻が赤いなあ、と思う。


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赤いだけじゃなくって、鼻をたらすこともあるよなあ。


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それでもお父さんはお前のその鼻、大好きなんだよ、とここで言っておこう。