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佐渡島庸平さんのこと。

ありがたい。ほんとうに、ありがたい。

先週末にタイトルを発表した、4月発売の新刊『取材・執筆・推敲』。この本の刊行にあたってぼくとカッキー(柿内芳文氏)は、「できることは、ぜんぶやる」を合言葉に、多くの方々のご協力を仰ぎながら、さまざまな準備を進めている。

たとえばこちら。noteさんのご協力で、3月11日(木)に刊行記念のプレ講義イベントを開催させていただくことになった。ここでは参加者の方々に、ひと足はやく『取材・執筆・推敲』のプルーフ(校了前の原稿を簡易製本したもの)をお配りし、それを読みながら授業に参加して、もちろん持ち帰っていただく予定でいる。

これとは別にいま、自前で作製したプルーフを幾人かの方々にお配りしている。本についての感想やコメントをお願いしたい方々、単純に読んでいただきたい方々、まだ原稿の修正も可能なので率直なご意見を頂戴したい方々、さまざまだ。幾人かの方々からはさっそく感想をお寄せいただき、その過分なご評価に恐縮しまくっている。


きのう、そのなかのひとり、佐渡島庸平さんからメッセージをいただいた。読んでいて脈拍数がバクバク高まるくらいに熱い、しかも思いがけない角度から激賞するメッセージだった。

佐渡島さんとの出会いは、もう15年くらい前になる。ぼくが担当した本をたまたま読んだ(当時「モーニング」で漫画編集をしていた)佐渡島さんが、出版社に「この本を書いたライターの連絡先を教えてください!」と電話をかけ、そのままいきなり「モーニングの佐渡島といいますけど、一度会ってもらえませんか」と直電してきたことが、はじまりだった。

そこから佐渡島さんとは『16歳の教科書』シリーズを一緒につくり、公私ともに仲良くさせていただいた。佐渡島さんはたくさんの人に「古賀さんっていう、すごいライターがいる」と触れまわり、たとえばカッキーや note の加藤貞顕さんと知り合ったきっかけにも、じつは佐渡島さんがいる。

さらに言うと、岸見一郎さんとアドラー心理学の本を出そうと焦っていたとき、「これはものすごく大事な本だから、古賀さんのライフワークにするくらいのつもりでじっくり向き合ったほうがいい」とアドバイスをくれたのも、佐渡島さんだった。そのアドバイスがなければぼくは、「本を出すこと」を急ぐあまり、『嫌われる勇気』とはぜんぜん違うスタイルの、「はじめて学ぶアドラー心理学」みたいな本をつくっていた可能性がある。

佐渡島さんが講談社を退社し、コルクを起ち上げるときにはこころから応援したし、シェアオフィスして同じ空間で仕事もした。そしてぼくがバトンズを起ち上げ、コルクのオフィスを去ってから(当たり前のことだとはいえ)少しずつ、会う機会が減っていった。

その後「編集」のありかたを更新し、コミュニティを通じたクリエイティブや組織運営に軸足を移していった(ように見えた)佐渡島さんを、ぼくは少し離れた場所から眺めつつ、「もう一緒に仕事をすることはないんだろうなあ」「ぼくの考える編集やクリエイティブとは、ずいぶん違う方向に行ってしまったなあ」と思っていた。佐渡島さんがいいとか悪いとかじゃなく、ただ「自分の考えとは違うなあ」と思っていた。そして経営者としてメディアに登場する佐渡島さんを見るたび、編集者であることを辞めてしまったかのようなさみしさを、おぼえていた。


けれどもきのう、佐渡島さんからいただいたメッセージを読んで、彼が現役バリバリの編集者であることを知った。これ以上ないほどのことばで激賞してくれたことよりも、そのことばが本物の編集者による、本物のことばであったことに、いちばん感激した。旧友と再会したような興奮が、そこにはあった。

佐渡島さんがこれからなにをやるのか、ぼくはよく知らない。知っても理解できないことのほうが、多いだろう。それは違うんじゃないか、と思うことだってあるだろう。けれどもぼくにとっての佐渡島さんは、いまもむかしもずっと「ほめることに照れず、誰よりもまっすぐなことばで作家をモチベートしてくれる編集者」なのだ。

佐渡島さん、どうもありがとうございました。