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ものかきのおかしみと哀しみ

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すれ違った人たち
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2021年3月の記事一覧

思ったことを口にしないとどうなるか

思ったことを口にしないとどうなるか

人は思ったことの半分も口にしてない。

いや、半分どころかほとんど口にしてないかもしれない。エビデンスはない話だから無視してもらって全然いいのだけど。

ただ、人の話を聞いて、そこから表面の言葉を手がかりにしてその人の「本当の言葉」にも出会う仕事をしてると実感値としてはすごくある。

ほんと、人はそれなりに日々いろんなことを喋ってはいるけれど「本当に思ってること」を口にするのは稀だ。なんで、人は思

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深夜の卵かけご飯

深夜の卵かけご飯

「つくって、卵かけご飯。早く!」

いきなり部屋をたずねてきた女は、そう言うなり自分のバッグをどさっとソファに投げ置いた。

映画でこういうシーン観たことある。突然、知らない女が部屋に転がり込んでくるのだ。そしてたいていの場合、ちょっと気怠くアバンギャルドな雰囲気をまとっている。

だけど、映画ではなく現実にということになると控えめに言ってもそれはただの奇妙で迷惑な出来事でしかない。

火曜日の夜

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きれいだけど物足りない

きれいだけど物足りない

きれいだけどのっぺりしたものが増えてる。感覚値で言ってるけど。

狭い意味での「デザイン」という点で、グラフィックスやページデザイン、プロダクトに触れたとき、なんだか上滑りしてしまうのだ。

どんな分野でも「それっぽく」はできてるのだけど、端的に何か引っかかってこない。

きれいではなくても、ゴツゴツしてても、凸凹でも違和感があっても、でも気になってつかまれてしまうもの。そういうのが少なくなったの

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梅桜桃がくっつきすぎ

梅桜桃がくっつきすぎ

信州の長い冬がようやく終わろうとしている。

感覚的にというか体感的には10月から3月は「冬」なので、1年の半分は冬。他の季節の圧縮度合がすごい。

実際、薪ストーブもそれぐらいの期間か、なんならGWぐらいまで稼働する。

問題なのは開花だ。この辺りでは「梅・桜・桃」がほぼ同時に咲く。品種にもよるけど。

わりとずっと、まず梅が咲いて、それから最短でも1~2カ月間隔が空く春のグラデーションが刷り込

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余白の多い文章と場所

余白の多い文章と場所

昔からつい惹かれる場所というか空間に共通するものがある。余白だ。

なんだろう。目的性があるようなないよう感じで漂ってる感じ。たまたま、いろんなタイミングが合えば、そこが「何か」の場所になるかもしれないけど、そうなってもならなくてもいい。

それって、ただの「空き地」とか「隙間」とどう違うの? と思われそうだけど、空き地の場合は「本来は何かに使われるべき場所が使われてない」という状態だし、隙間は基

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感覚のまなざしを持った優しくて強い人

感覚のまなざしを持った優しくて強い人

柔道家の古賀稔彦さんが亡くなられた。

柔道の関係者でもない僕なんかがnoteに追悼を書くのは憚られるのだけど、気持ちが追いつかない。なんで、ほんとに「いい人」ほど先に逝かれるんだろう。

昨年、ある柔道の本の編集に携わらせてもらった。柔道の知られざる魅力を発見してもらう(語弊があるのを承知で言えば、ちょっと前のラグビーのように食わず嫌いな人が多いのかもしれない)コンセプトの柔道本。

痛そう怖そ

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残り10分

残り10分

その日、僕はどうしようもなく空腹だった。なんだか『孤独のグルメ』(原作のほう)のはじまりみたいだけど、本当にそうだったから。

いろいろと用事を済ませて、気づいたらランチの時間をかなり過ぎてしまっていた。これが都心なら、いくらでもランチじゃない時間帯にも食べれるお店はあるけど、地方ではそうもいかない。

それでもチェーン店ならカレーとかうどんとか、牛丼店なんかが国道沿いにぽつぽつとはある。でも、な

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煮詰まって湯治したら90点を授かった話

煮詰まって湯治したら90点を授かった話

あまり書くことでもないんだけど、結構煮詰まってた。

気持ち的にというより身体的に。身体が悲鳴をあげるってありがちな比喩だけど、それに近い。すごく、ぐったりするのだ。動きたくないし動けない。

基本、朝から夜までパソコンに向かって原稿書いたり(古いスタイル)書くためのあれやこれやの仕事したりの日々。

夜になると、それも21時くらいになると急激に充電が切れてくるのが自分でわかる。あれ、おかしいな。

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精神的豊かさは書けるのか問題

精神的豊かさは書けるのか問題

文章を書く人間として気をつけてることがいろいろある。

不用意な言葉を使わないのもその一つ。もちろん、取材だとか、それに近い対話とか、あるいは流れるように文章を書くときにも。

そんなの、どれもそれなりのスピードで進んでいくのに逐語的にすべての言葉を用心深く使うのは難しいのだけど、それでも基本的には意識をする。

取材や対話の場合は、その前後も含めてお互いに「場の空気や流れ」を共有できるので、明ら

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石のように宙に浮いている

石のように宙に浮いている

もういい加減やめられればいいのだけど、やめられないことがある。

嗜好品とか変な趣味の話ではなくて、自分の存在について考えること。もういい大人なんだし、そんなの考えても仕方ない。

わかってるのだけど、自分は何なんだろう? と油断すると不意に考えてしまう。そんなときに、薄ぼんやりと浮かぶイメージがある。

たとえば、わりと目立つ会社(僕が目立ってたわけじゃなく会社が)の制作部門で働いてたときもそう

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大きな声の大きな言葉の影

大きな声の大きな言葉の影

もっと大きな声で話さないと届かない。それはある種の真実だ。

じゃあ、みんなが大きな声を持つようになればいいのかというと、それも違う気もする。

静かに、だけどちゃんと、その人にとってのたいせつなことを生きてる人がいる。そんな人の言葉は決して大きくない。なんなら、こちらもちゃんと「聞きたい」気持ちがないとそこに言葉があることもわからない。

大きな声で伝わる大きな言葉ではない、小さな言葉だけれど、

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曲がったアンテナ

曲がったアンテナ

すごく個人的な心象風景の話なので、書かなくてもいいことなのかもしれない。

あのときはまだ僕も東京にいて、どう呼んでいいかわからないとても東京的な状況の中にいた。

まあその辺の話は他にもたくさん書いている人がいるので書かない。

もちろん、いろいろと思うこともあったり現実的にいろんなことが起こった。

覚えているのは、しばらくの間、徒歩移動をよくしていたこと。電車が動いていたり動いてなかったり、

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