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風習


一度は耳にする古い日本のことわざで、不思議な言葉がいくつかある。



例えば

「出る杭は打たれる」

この言葉に「左右される人生」ならば...

この表現を「当然と思う人生」ならば...

この表現が「仕方ないと思う人生」ならば...


私たちの未来はつまらないでしょう。



ー表現のイメージー

才覚をあらわし、自己主張する者がたたかれることを表現として生まれたのは、ここ日本だけの不思議な表現なのかもしれません。

ー我々の環境にはー

右にならえや、目立つことを避けるといった閉鎖的な考えも根付く。



ー現代において人の表現はー

古い時代からの風習が今も根強く残っている。


ー自由な表現が飛び交う現代ー

古来の価値観は疑問視され、少しずつことわざも見直されるようになった。





ーそして今はー

「出る杭をもっと出そう」といった明るい時代に突入しつつある。



しかし現代社会において、古い表現に惑わされる環境は、まだまだ芽生える。



出る杭の表現は、「嫉妬や僻みやプライド」が多く反射し映っている。


「あと一歩、あと少し....」



今回のテーマは「出る杭」

我々はこの言葉について「当たり前や仕方ない」といった風習を壊す必要がある。

「そして永遠のテーマにしてはならない」



より良い社会を未来の者に繋げるためにも

私たちが考えを見つめ直す時だと強く感じる。


嫉妬や妬みを相手に表す人


妬まれて、出る杭と連想する人


双方を客観的に見て、それを仕方ないと思う人

「いつの時代も人の表情に自分を見失ないがち」




フルムーンが20年後の今日も営業をしているとする。



現在0才の男の赤ちゃんが20年後に私と出会うとする。



その時は、出る杭がたくさん育つ環境が望ましい。

嫉妬や妬みのない環境はなくならないと思う

それは一つの「人の感情」なのだから。


しかし「出る杭と、嫉妬や妬み」をリンクさせない考えは大切だと感じる。



そもそも「嫉妬や妬み」と「出る杭」を一緒に考えてしまうことはおかしな表現なのかもしれない。


だからこそ、私たちは人の気持ちを学び、感情表現の変化を知る必要がある。


私が「タイムスリップ」できるのならば、江戸時代に生まれ、私がその風習をぶっ壊したい。

誰もが得しない風習に「杭を打つ」のだ。

しかし、私ひとりでは難しい。

だからこそ、ひとりでも多い勇敢な者の現れをいつも期待している。




明るく楽しく嬉しい


そもそも、「出る杭とは」なんだろう。

『出て出て出まくってそんな者に負けるな!』という人もいるでしょう。


『出して、出して、相手に言わせないくらい負けないで出るのだ!』という人もいるかもしれない。



他人が見るあなたの姿で、ご自身が揺れてしまうと

いつまで経っても「出る杭の根本的な考えは変えれない」と思う。



近い未来の出来事


いつかSNS時代が終わり

人々が苦しむ世界は、新たな〇〇時代に突入するでしょう。


その時は『より良い思考に、より良い人の感情』が育つのだろうか。



遠い未来

目は心以上に使い過ぎて、大きく進化した。

フルに使い続けた頭は、心よりもはるか大きく進化した。



心が小さくなった分、身体も小さく変化した。


私たちが想像する宇宙人は『私たちの進化系』なのかもしれませんね。



私たちの女風をテーマに考えた
(2019年当時のメモより)  





海マヒナ

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