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自治体の予算不足を解決する「ソーシャルインパクトボンド」という新しいしくみ

ビジネスにおいて、かならずと言っていいほどぶつかるのがお客さんの「予算」の問題です。

私は全国の自治体と一緒に、マーケティングの力で予防医療を広める会社をやっています。会社を立ち上げて約15年。私自身、何度もこの問題に直面してきました。

世の中の役に立つことをやろうと提案しても、お客さんの予算と合わずできない……。

長年もどかしさを感じていたこの問題を解決できるかもしれない「新しい自治体ビジネスの仕組み」が、いまじわじわと広がってきています。

「ソーシャルインパクトボンド(SIB)」というものです。

ソーシャルインパクトボンド(SIB)とは、自治体などの行政が、民間の事業者に仕事を依頼するとき、その対価を「成果報酬型」で支払う……という仕組み。

「ボンド」は「債権」という意味です。取り組みにかかるコストの一部を「債権」にして、投資家に負担してもらうことで、事業者のリスクを抑えられるのです。

もちろん成果が出れば、投資家にも利益を還元します。

「行政」「民間企業」「投資家」。この3者の利害がうまくマッチしつつ、社会的インパクトの大きな取り組みをおこなえる。

それがソーシャルインパクトボンド(SIB)です。

……と、正直これだけではよくわからないと思います。

私たちは2016年に、ソーシャルインパクトボンドの日本第一号案件を担当しました。

今回は、日本ではじめてSIBが実現するまでのストーリーをお話しします。SIBの仕組みは、自治体ビジネスだけでなく、さまざまな分野でヒントになると思います。

予算不足に悩んでいる業界の方には、ぜひ知っていただきたいです。

自治体ビジネスはお金にならない?

私がSIBと出合ったのは、2015年ごろ。

当時うちの会社は、2、30ほどの自治体とビジネスをやっていました。ただ、自治体相手のお仕事だけでは売上が立たなかったので、残りの大半の仕事は「大学の研究への協力費」が占めていました。

やっぱり、自治体ビジネス一本では食べていけないのだろうか……。

そんなことを考えていたとき、私がハーバードビジネススクールに通っていたころとてもお世話になった教授が、日本へ視察に来ていました。マイケル・チュウ先生という、世界でマイクロファイナンスという仕組みの立ち上げに関わった人です。

マイケルに「最近ビジネスはどうなんだ?」と聞かれて、私は「自治体はお金がないから、やっぱりあんまり事業にならないんだ」と話していて。

すると彼が「ちょっとこれ読んでみろ」と、ある論文を渡してくれたんです。「ソーシャルファイナンス」というハーバードのケーススタディでした。

イギリスの囚人を、民間団体が支援する

その論文には、ソーシャルインパクトボンドの世界第一号案件について書いてありました。

イギリスの刑務所で、囚人への支援をおこなった事例です。

囚人が刑務所に収監されると、当然ですが費用(税金)がかかります。彼らが出所して、そのまま社会で働いて、税金を納めてくれる人になればいいのですが、イギリスでは再犯してまた刑務所に戻ってきてしまう人が多いのも事実でした。

すると、税金も二重にかかってしまいます。

この問題を解決するには、1回目の収監のときに「職業訓練などの支援」をちゃんとやることが大切です。そうすればきちんと社会復帰できて、再犯を防げる。刑務所のコストも2倍かからなくてすむわけです。

そこで、支援のノウハウを持ったNPOに、囚人の支援を依頼したんです。

支援によって再犯率が下がれば、刑務所の運営コストも下がります。その下がったコストから、NPOへの報酬を支払いましょう、という仕組みです。

最初にかかる支援コストはNPOが負担します。NPOにとってはリスクもありますが、成果が出れば、ふつうに業務委託契約をするよりも多くの報酬を受け取れます。

「取り組みによって下がったコスト」を「利益」と捉えて、事業者に報酬として分配する。

この仕組みなら、予算がなくても新しい事業をはじめることができるわけです。

これは自分がやるべきことだ

論文を読みながら、私は興奮していました。

「これをうちの事業で使えば、すごいことになるかもしれない」

「検診によってがんが早期発見できれば、そのぶん医療費が安く済む。下がった医療費の一部を、自治体から報酬として受け取る……みたいなモデルができるんじゃないか?」

これは私にとって運命的な瞬間でした。

私は、32歳のときにハーバードでMBAを取得したのち、公衆衛生の世界で起業しました。当時は起業から7年ほど経っていましたが、まだ「MBAでビジネスを学んだ人間が、なぜ公衆衛生の世界にいるのか?」を、あまり自分のなかで意味づけできていなかったんです。

ソーシャルインパクトボンドは、そんな私のモヤモヤにフィットしてくれました。

SIBの仕組みは、まずファイナンスのスキームとして少しややこしいです。そのうえ「検診の受診率向上」など、具体的な事業もできなくちゃいけない。自治体とも話さないといけないし、投資家への説明までしなくちゃいけない……。

けっこうマルチなスキルが必要なんです。

自治体ビジネスの経験だけではできないし、投資家は自治体とのコミュニケーションが難しいでしょう。ファイナンスの仕組みをつくるにも専門知識が必要です。

「この仕組みをもし日本で立ち上げる人間がいるとしたら、それは自分以外にいなかろう」と思ったのです。

最初は門前払いだった

SIBのモデルにいちばんフィットしそうなのが「大腸がんの早期発見」でした。

大腸がんは、きちんと検診をして早期に見つかれば、進行後に見つかるよりも医療費がかなり安く抑えられます。検診に費用をかけても、きちんと利益がでる。論文によるエビデンスもありました。

それで「よし、まずは大腸がん検診だ」ということになったのです。

私はさっそくSIBについて、いろんな自治体にプレゼンして回りました。

「大腸がんを早期に見つけると、医療費がすごく安くなります。だから私たちと一緒に大腸がん検診の取り組みをして、安くなった医療費のぶんから報酬を支払ってほしいんです。成果がでなかったら、お金はいただきません」と。

ところが、ことごとく「門前払い」だったのです。

なぜ門前払いだったのか?

SIBが自治体にまったく受け入れてもらえない。

私は「いや、なんで? いい話じゃん」と思っていました。

成果が出なかったら報酬は払わなくていい。成果が出れば、それを原資にして報酬を払えばいい。「いま予算がなくたって、予算をつくるところからやるんだから、なんの問題もないじゃないか」と。

めげずに話を聞いていくと、理由がだんだんわかってきました。

門前払いの原因は「成果が出なかったら払わなくてもいい」という根幹のコンセプトだったのです。

自治体は、前の年に決めた予算を1円も余すことも、1円も超えることなく使い切らないといけません。民間の事業者には、ちゃんと決まった成果を出してもらって、100%の支払いをする。これが彼らの仕事でした。

「成果が出なかったら払わなくていい」なんて言われたら、逆に困ってしまいます。

いい話どころか、自治体の人にとっては大迷惑でしかなかったのです。

経産省の課長と、八王子市の課長の協力

「成果報酬型の後払い」という、SBIの根幹のしくみが受け入れてもらえない。

やっぱり、事業としてやるのは無理かもしれない……。

困り果てていた私たちを助けてくれた人がいました。それが、経済産業省のエザキ課長という人。彼は、経産省ヘルスケア産業課の名物課長でした。のちに参事官にまでなられた方です。

ヘルスケア分野は、経産省にとっては「これから存在感を示していきたい分野」でした。

ヘルスケアは、基本的には厚生労働省の管轄です。でも「成果連動型」で、投資家を巻き込んでおこなうSIBのスキームは、かなり経産省っぽいものでした。

だから経産省としても「SIBこそ、経産省のヘルスケア産業課が旗を立てるべき事業だ」という思いがあって。私たちがSIBをやろうとしていることを伝えると「がんばってくれ」とバックアップしてくれたのです。

さらに、八王子市の課長も私たちに協力してくれました。

八王子市は、起業して最初にがん検診の事業をやった自治体です。そのとき担当だったカンノさんという方が、経営企画課の課長になっていたのです。

経営企画課というのは市長のブレーンみたいなもので、新しい事業を立ち上げるのがミッションです。だから経営企画課としても、SIBの話はちょうどよかった。

しかも、がん検診はカンノさんにとっては古巣で、造詣が深い分野。彼に話をすると「これはやるかやんないかじゃないね。どうやるかだね」と言ってくれました。

これまでさんざん門前払いをくらっていた私たちですが、なんとか突破口が見えてきたのです。

市長は賛成だった

現場レベルだと「助かるどころか、むしろ困る」ものだったSIB。

「単年度で予算をきっちり使い切らないといけない」「手続きが煩雑になる」といった、現状とのギャップが壁になってしまっていました。

でも、市長に話を上げてもらうと、賛成してくれたのです。

市長は、市民の税金をやりくりして、なるべくいい施策をするのが仕事。だから「限られた予算のなかで事業をやる以上、成果の達成度に応じて委託料を支払う、という仕組みはすばらしいね」と言ってくれました。

おなじ自治体のなかでも、意思決定の軸は人によって違ったのです。

現場で門前払いをくらって、そのまま諦めてしまっていたら、この事業はきっと実現しなかったはず。

粘り強くやり続けて、助けてくれる人に出会えて、ほんとうによかったです。

成果が出るのなら、手法は問わない

そうして、八王子市とのはじめてのSIB案件がスタートしました。

まず私たちがやったのは「大腸がんを早期で発見すると、本当に医療費は安くなるのか?」を確かめることです。

海外の研究論文は出ていたものの、日本で本当にそうなのかということは、誰も確かめたことがなかった。そこで、八王子市のデータを預かって「早期がんで見つかった人」と「進行してから見つかった人」の、3年間の医療費を比べてみました。

すると早期で見つかった人のほうが、180万円くらい安く収まっていたのです。

「これはいけるぞ」ということで、契約を進めていきました。

従来の自治体との契約では、かならず「仕様書」を作ります。「何万通のパンフレットを、何人にいつ送付して、報酬は500万円です」と。「やることリスト」があらかじめ細かく決められているのです。

一方ソーシャルインパクトボンドは、成果が出るのであれば、手法は問いません。

見るのは「何人の早期がんを発見できたか」という成果だけ。10人の早期がんを発見できたら、180万×10人で1,800万円。その半分の900万円を、事業者に支払う……という感じです。

どんなパンフレットを、いつ、何通送るかまで、事業者が自由に決められる。

これがSIBのメリットでもあります。

かなりイレギュラーな契約ですが、市の契約課のみなさんも協力してくれて、なんとか形にすることができました。

投資家にもメリットがある

同時に、協力してくれる投資家も探していきました。

最初に「やりたい」と言ってくれたのは、みずほ銀行でした。みずほ銀行の役員にビジネススクール時代の先輩がいて、話を聞いてもらったのです。

メガバンクとしても「ゼロ金利時代」といわれるなかで、金利以外の収入源を探していました。さらに「社会貢献性」のある投資によって、新しい収益源を作りたいという思惑もありました。

さらに日本財団さんも出資してくれました。日本でいちばん大きなフィランソロピー財団です。

日本財団は、福祉施設や病院、保育園などに無償で寄付をする団体です。ただ、無償の寄付だけでは限界があるということで、社会貢献にも投資にもなるような案件を探していました。

彼らもまた困っていて、SIBがその解決策になりえたわけです。

「個人通知書」で受診率が3倍に

自治体と契約できて、投資家も集まりました。いよいよ施策の実施です。

大腸がんは、以下の条件が揃うとリスクが上がるとされています。

・タバコを吸っている
・お酒を飲んでいる
・肥満で運動不足

これは国立がん研究センターが発表している「がんのリスク要因評価」に基づいています。いろんな論文のエビデンスを集めて「どんな要因がどのがんのリスクを上げるのか」をまとめたものです。

この条件に当てはまる人はけっこういるはず。でも「自分は大腸がん検診を受けたほうがいいな」と気づいている人は少ないです。

そこで私たちは「個人通知」というものを作りました。

実際に配布したパンフレット

送られる通知内容は、一人ひとり違います。「名前」「過去の検診の結果」「あなたはどのリスク因子に当てはまっているか」というチェックボックスにチェックがついたものを、各住民宛てに送ったのです。

飲酒や喫煙、肥満度のデータは、過去の検診結果でわかります。その情報を引っ張ってきて「あなたはこのリスクに当てはまっているから、ちゃんと検診を受けましょう」と伝えました。

そんな書類が送られてきたら、ちょっとドキッとしますよね。

結果的に、9%だった受診率は、27%まで上がりました。

取り組みは大成功です。2015年から動きはじめたこの事業は、2016年からの2018年までの3年間、続けることができました。

政府の骨太の方針に

日本ではじめてのSIB案件が成功したことで、国も本格的に動きはじめました。

国の政策を左右する「骨太の方針」というものがあります。そのなかに「成果連動型委託契約をやりましょう」という文言が組み込まれたのです。

国としても財政難のなかで、お金をかけず、自治体の創意工夫で社会課題が前に進むのはありがたかった。

いまだに方針には入り続けていて、SIBは今年で全国100案件ぐらいまで広がっています。

新しいものが広まるには「タイムラグ」がある

ただ、国の方針に載ったからといって、それを見た自治体がすぐに「じゃあやるぞ!」となるわけではありません。

八王子市の案件のレポートがでたのが、2018年。SIBが本格的に広まりはじめたのは、2021年ぐらいです。

取り組みが広まるまでには、3年ほどタイムラグがありました。

2019年に初めて、骨太の方針に「成果連動型事業」という言葉が出てきました。当然、自治体の人たちは、そんな言葉は初めて見ます。「なんだこりゃ」と思って、まずはそれで1年が過ぎるんです。

で、2020年になると、自治体のなかで「どうも成果連動型事業っていうのを、あそこの市がやったらしいぞ」という話が聞こえはじめます。

ただ、SIBはひとりの担当者が「やりたい」といってやれる話ではありません。導入のハードルを超えるには、やはり市長など、権限のある人の決定が必要です。

現場に話が広まって、市長の耳に入るまでに、また1年ほどかかる。それで、ようやくいまになって「うちでもやろう」という動きが加速してきています。

新しいものを広めるには、それぐらい時間がかかるということです。

……ただ、これは私たちにとってはあるていど「想定内」のことでした。

時間がかかるのは覚悟していた

私たちは創業からずっと、自治体相手に「受診率向上のマーケティング」事業をやっていました。

いままでの自治体との経験を考えると、広まるまでに時間がかかることは織り込み済みでした。

自治体は基本的に、急にばばっと動くことはない。最初はじわじわと広がって「これは本当にやったほうがよさそうだ」となった瞬間、バーンと増えるのです。

ふつうの会社で、新規事業にこれだけ時間がかかってしまうと、成果が出る前に打ち切られることもあると思います。焦らずじっくり待てたのは、これまでの経験があったからでした。

SIBの難点は「手間がかかる」こと

SIBがなかなか広まらなかったのには、もうひとつ理由があります。

SIBをやるのは、かなり手間がかかるのです。

投資家を入れると、投資家への説明責任が発生します。あと、ちょっとテクニカルな話ですが、SIBをやるときは「匿名組合」というものを作って、投資を受ける資格を取らなければいけません。金融庁への届け出も必要です。

さらに「成果によって報酬を毎回計算しないといけない」というのも、ふつうの契約に比べるとかなり手間がかかります。

なので、本格的に広がるまでにはまだまだ時間がかかると思います。

現に、SIBの日本第1号案件をやった我々であっても、会社全体の案件に占めるSIBの割合は、まだ非常に小さいです。

今後の課題は「事業者」がいかに増えていくか

SIBをやるうえで、いちばん足りていないのは、我々のような「事業者」です。

投資家を見つけるのはそこまで難しくありません。最近はESG投資のニーズも高まっていますから。自治体は制度上の壁もありますが、今後「やりたい」というところは確実に増えていくでしょう。

でも事業者にとって「成果報酬型」というのは、やっぱりすごく大変だし、リスクも大きい。

ちょっと変わった会社でなければ、このスキームを目当てに検診の領域に乗り込むことは、なかなか難しいんじゃないかなと思っています。

事業者参画のカギとなるのは「案件の規模感」です。

1案件1億円ぐらいの規模になってくれば、SIBのスキームをつくるための調整に手間がかかっても、事業としてちゃんと成立します。

そういう案件をやってくれる自治体を増やすためにも、いまは成功事例を積み上げていかないといけません。きちんとビジネスとして成立している事例を見れば、事業者は自ずと入ってきます。

これから日本の自治体は、どんどん財政難になっていきます。

そうなったときに、事業の元となる「お金を作る」ことからスタートできる成果報酬型の仕組みは、絶対に必要になるはず。

私たちは今後も、粘り強くその礎をつくっていきたいです。

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