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旅の始まり

「始まり」のための後日談

旅の始まりの前に、あらかじめ読者にお話ししておかねばならないことがある。それは、この旅のすぐ「あと」に勃発した事態についてのことである。いうまでもない。コロナ・パンデミックだ。世界がこれほどまでに新型コロナウイルス問題に苛まれているというのに、ガラパゴスの旅など、福岡伸一はなんと脳天気な、あるいは不謹慎なことを言っているのか、とお思いの方もおられると思う。

今となっては言い訳に聞こえるかもしれないが、この旅が始まろうとする2020年3月のはじめ、世界はまだ正常に運行されていた。成田空港はいつもどおり混雑していたし、国際線はごく普通に発着していた。中国に端を発した新型コロナ肺炎の問題は、クルーズ船「ダイヤモンド・プリンセス号」の集団感染や、隅田川の屋形船の乗客のクラスターなどが報道されてはいたが、これほどまで急速に世界を覆い尽くすとは、誰もがまだ予想だにしていなかった。私たちが向かおうとしていた北米と南米でも、この時点では、コロナ問題は完全に対岸の火事とみなされていた。

事実、私たちはごく普通に日本を出国し、何の問題もなく米国に到着し、ついでエクアドルに入国した。そして夢にまで見た旅、想像を絶する旅、ガラパゴス探訪が始まった。

事態が急変したのは、ガラパゴスの旅が終わった直後だった。



ガラパゴス探検を終えた私たち一行は、最後の島、サン・クリストバル島のサン・クリストバル空港からグアヤキル経由で、エクアドルの首都キトに戻った。空港で、通訳のミッチさんとさよならの挨拶を交わしたあと、翌朝、乗継地の米国ダラス・フォートワース国際空港に着いた。米国入国も全くスムーズで、特別な検査や検温などは何もなかった。私は、日本に戻るフォトグラファーの阿部さんと別れ、ロックフェラー大学のあるニューヨーク行きの飛行機のゲートへ向かった。3月残りの春休みをニューヨークで過ごす予定だった。飛行機はその日の午後、ニューヨーク・ラガーディア空港に着き、イエローキャブを拾って、マンハッタンのアパートに着いた。道端には白い可憐なマメナシの花が咲きかけていた。ニューヨークの街に春を告げる街路樹だ。私は、ほっと一息をつきながら、荷解きをしたり、洗濯物を仕分けしたり、資料類をまとめたり、シャワーを浴びたりした。しばらくは旅の疲れをいやしたいと思った。それが2020年3月11日のことだった。

テレビをつけると、ニューヨーク郊外の小さな町ニューロシェルで、新型コロナウイルスの集団発生が起きたことを伝えていた。しかしこの時点では、きたるべき感染爆発の規模の大きさを私は全く予想できていなかった。翌日からあれよあれよといううちに、ニューヨーク州および全米で感染者の数が指数関数的に急上昇していった。数千から数万、そして数十万に達するのはあっという間だった。学校が閉鎖され、都市がロックダウンされた。ブロードウェイ、カーネギーホール、リンカーンセンター、メトロポリタン美術館……ニューヨークの観光名所が次々と閉館し、レストランやバーも休業、不要な外出が禁止された。ロックフェラー大学も入構停止、研究もストップした。私はアパートに幽閉された。ほんとうに沈黙の春がやってきた。

一方、エクアドルでもたいへんな事態が出来(しゅったい)していた。

私たちが訪問したときは平和そのものだった。中国・武漢でのコロナ肺炎発生のニュースを受けて、首都キトの空港では、係員が発熱検査をする程度で、緊迫感や危機感は全くなかった。ガラパゴス諸島でも、最後の日に観光ボートに乗り合わせたイスラエル人とポーランド人のダイバーが、我々アジア人を見て、コロナ肺炎の軽口を叩いている程度だった。つまりみんな遠いどこかの国の他人ごとでしかなかった。エクアドルでも感染者はまだ1名だった。ところがである。我々がエクアドルをあとにした直後から、感染者が猛烈な勢いで増加しはじめた。特に首都キトでは、低所得者が住む地域で医療崩壊をもたらした。収容できない感染者の遺体が路上に放置された写真が、通信社のニュースに乗って全世界に発信された。航空路が遮断された。

本土エクアドルから約1000キロ離れたガラパゴスも無事ではすまなかった。たくさんの観光客が流入してくるからだ。時事通信によれば、2020年3月23日、ガラパゴスで最初の4人の感染者が確認された。1人は旅行者、3人は島民だったが、みな本土の商業都市グアヤキルに滞在していた。エクアドルでは3月24日までに1082人の感染者が確認され、27人が死亡。エクアドル政府は3月16日からガラパゴス国立公園への旅行客立ち入りを禁じた。

つまり私たちは危機一髪だったのだ。もう少し旅程が遅かったらガラパゴスに入ることができなかった。あるいはエクアドル国内に足止めされて、国外に出ることすらできなかったかもしれない。

新型コロナウイルスは、私たちにウイルスと人間の関係を突きつけた。グローバリズムと感染症の問題を提起した。人命尊重と経済活動のジレンマを露呈させた。そしてなによりも、目に見えないウイルスの振る舞いは、生命とは何か、という本質的な哲学的問いを私に再考させた。

ウイルスとは電子顕微鏡でしか見ることのできない極小の粒子であり、生物と無生物のあいだに漂う奇妙な存在だ。生命を、自己複製を唯一無二の目的とするシステムである、と利己的遺伝子論的に定義すれば、宿主から宿主に乗り移って自らのコピーを増やし続けるウイルスは、とりもなおさず典型的な生命体と呼べるだろう。しかし生命をもうひとつ別の視点から定義すれば、そう簡単な話にはならない。それは生命を、絶えず自らを壊しつつ、常に作り変えて、エントロピー増大の法則(秩序あるものは秩序のない方向にしか進まないという、宇宙の大原則)に抗いつつ、あやうい一回性のバランスの上に立つ動的なシステムである、と定義する見方――つまり、動的平衡の生命観に立てば――代謝も呼吸も自己破壊もないウイルスは生物とは呼べないことになる。しかしウイルスは単なる無生物でもない。ウイルスの振る舞いをよく見ると、ウイルスは自己複製だけしている利己的な存在ではない。むしろウイルスは利他的な存在である。

利他性は、動的平衡と並んで、私の生命観のキーワードでもある。生命の進化は利他性の上に成り立っている。それゆえ、はからずも勃発した新型コロナウイルスの問題は、このガラパゴスの旅の通奏低音とも深く重なってくることになった。

読者のみなさんにはこのあたりが伏線になることを予告しつつ。まずは『生命海流』の物語にお付き合いいただきたい。


主な登場人物

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          〈写真:サンタ・クルス島のダーウィン像とともに〉
福岡伸一ハカセ

この旅日記の筆者。“私”。生物学者、自然のすべてを愛するナチュラリスト。(しかし実はひ弱なナチュラリスト)。主著に『生物と無生物のあいだ』『動的平衡』、訳書に『ドリトル先生航海記』。


以下、5名はガラパゴスの人。 


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エドアルド・コセロ(愛称ヴィコ)
マーベル号船長。頼りがいのある海の男。

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フランシスコ・サンティリヤン(愛称グァーポ)
マーベル号副船長。操船技術は抜群。

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フリオ・モレータ(愛称フリオ)
マーベル号船員。よろず雑用係。よく働く若者。 

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ジョージ・アヴィレス(愛称ジョージ)
マーベル号のコックさん。すばらしい腕前。

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オズワルド・チャピ(愛称チャピ)
ネイチャー・ガイド、元・ガラパゴス国立公園管理局員。物知りだが寡黙。ホンモノのナチュラリスト(タフ)。

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鳥居道由(愛称ミッチ)
通訳・旅のコーディネーター。エクアドル生まれ・育ち。

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阿部雄介
ネイチャー・フォトグラファー。よい写真を撮るためならたとえ火の中、水の中。

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月3回以上は更新する予定です。 公式Twitterにて感想、コメントを書いていただけると嬉しいです。 *後に書籍化されるもの、カットされるものも含まれます。 【写真撮影】阿部雄介 *地図はジオカタログ社製世界地図データRaumkarte(ラウムカルテ)を使用して編集・調製しました。 Portions Copyright (C) 2020 GeoCatalog Inc.

ガラパゴス諸島を探検したダーウィンの航路を忠実にたどる旅をしたい、という私の生涯の夢がついに実現しました。実際に行ってみると、ガラパゴスは…

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