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たまねぎの由来と尊敬する人の話

ついに来た。

ついに来てしまったのだ。

なんでNoteのニックネームが「福原たまねぎ」なのかを書くときが。そのときがやってきてしまった。

おかげさまで今のところ誰からも「なんでたまねぎなのよ?」ということは聞かれていない。記事を出すようになってからというものの、友達にイラストや文章の内容について触れられることはあっても、この点については見事なまでにスルーされている。唯一言われたのは「福原ドリアンのほうがしっくりくるよ」というもので「その発想どっから来たの?」とツッコミたくもなったし笑、今のところは採用に至ってはいない。

それはともかく、以前の記事に「たまねぎのルーツについてはいずれ記事として書くよ」とさらっと言ってしまった手前、書かないのもなんだか気にかかるなーと思ったり。というわけで書くことにした。

フリービットにて

話はぼくが社会人1年目のときまで遡る。フリービットというベンチャー企業(今では立派な一部上場企業)に新卒で入社した後のことだ。最初にぼくが任された仕事は、新しいスマートフォン事業の立ち上げというものだった。2012年当時はちょうど「格安スマホ」「格安SIM」という新たな市場が立ち上がってくるぜ!という時期で、ぼくらも新しいサービスを出そうということになった。

まずは企画書からということで同じくプロジェクトにアサインされた新卒の同期とパワポでカタカタ作り始めたわけだけど、これがぜんぜんまとまらない。まあパワポをいじることも慣れてないような新卒ペーペーだったからムリもないっちゃないんだけれども。苦し紛れにスマホの市場データをなんとなくカッコよく見えるようにスライドにペタペタ貼って、それっぽい資料を作ろうと踏ん張った。資料のストーリーは「今のスマホ料金は高いから、安くしようぜ!」というシンプルすぎるもので、「それ資料じゃなくて口頭で伝えればいいんじゃん?米倉涼子が15秒ぐらいのCMで言ってるやつじゃん?」と言ってしまいたくなるようなお粗末なものだった。枚数にして4枚ぐらいだったとけど2ヶ月ぐらいかかった。今考えると一体その期間なにをしていたんだろうと思うわけだし「おいおい、さすがにそのクオリティーはないでしょうよ」とも思う。それなのに若気の至りともいうべきか、無謀にもその資料を社長とのミーティングに持ち込んだ。

社長というのはベンチャー (フリービット)を勢いよく率いる石田宏樹さん。ミーティングの開口一番「お前らなんでこんな資料にこんな時間かかってんねん!!」ともうほんともっともなお叱りを受けた (実際は大阪弁ではないけどノリとしてはそんな感じだった)。そしてメインのフィードバックは「資料のロジックがなっとらん。なんでこの事業をやらないといけないのかをしっかり書かないと」というものだった。そんなわけで、ぼくらはあえなく撃沈。大事な事業だったのにも関わらず、持っていた資料がイケてなかったからとても申し訳ない気持ちになった。それでもありがたいことに再挑戦のチャンスをもらえることになり、ぼくらは一から資料を来ることに。新卒にここまで辛抱強くチャンスをくれた石田宏樹さんとフリービットには今でもすごくすごく感謝している。

たまねぎロジック

ぼくらはそのミーティングのあとに休憩室にとぼとぼと戻り、丸い円卓テーブルにだらっと座った。飾られた水槽の中でゆうゆうと泳ぐ熱帯魚をぼんやりと眺めながら、「どうやって資料をうまく組み立てたらいいんだろうか?」と考えを巡らした。あーでもこーでもないと話しながらもなかなか道筋は見えてこない。

そんな折、その休憩室にふらっと現れたのが酒井穣さんという方だった。当時フリービットの取締役をやられていた方だ。

「おー、どうしたの?なんかしょげてんじゃん?」いつも通り優しい口調で興味津々な感じで話かけてくれる。

「いやー企画書作ったんですけど、レビューでコテンパンにされちゃいまして…。ロジックが大雑把だって言われちゃったんですが、どうしたらよいか分からなくて」というぼく。

その返事に酒井さん。

それはいけないね。ロジック (論理) というものはたまねぎの薄皮のように、細かく丁寧に重ねていくことが大事なんだよ。その論理の緻密さによって「なぜ?」という質問をいい意味で相手にさせないことだよ。その意味で論理をきれいに重ねるということは、聞き手・読み手への思いやりとも言えるかもね。

その当時ロジカルシンキングのことなんて全く頭になかった自分にとっては、とっても耳に残る言葉だった。それ以来「論理的に考えること」ということと「たまねぎ」というものが、ぼくの頭の中で強く結びついてしまった。

「だからNoteのニックネームを福原たまねぎにしました」と言おうものなら、ロジックに飛躍がありすぎて「こいつなにも学んでないじゃん!」と言われかねない。そんなわけで、なんとか今からでもカバーしたい。といっても大した理由はないのだけど、このNoteではただ日々のこととかを事実そのままつらつらと書くのではなく、これまでじっくり考えてきたことや現在進行形で考えていることを書きたいなと思ったからだ。「それでも飛躍あるよ」と言われたら「あとはフィーリングだよ」とすごく頭良くなさそうなことをドヤ顔で答えることだろう。

酒井穣さんの話

この酒井穣さんという方はぼくが人生で出会ってきた人の中で最も頭がいいと思った人の一人と言ってもぜんぜん言い過ぎではないと思う。酒井さんはこれまで多種多様なメディアで取り上げられていたり書籍を出されていたりする方なのでご存じの方もいらっしゃるかもしれないけれど(書籍の一覧はこちら)、ご本人は想像以上にスマートかつ博学な方だ。それでいて物腰はとても柔らかい。オランダに約9年も住んでられたというユニークな経歴もぼくが惹かれた要因の一つかもしれない。

ぼくが最初に酒井さんにお会いしたのはフリービットの会社説明会だった。2012年3月くらいの話だったと思う。酒井さんはパワポを使いながらプレゼンターとして1時間ぐらいの講演をされた。その内容が今でも忘れられない。

今日は会社説明会にご参加いただきありがとうございます。現実的な話としておそらく今後フリービットの選考に進む方は、ここにいる全員ではないでしょう。それを踏まえて選考に進まない人含めて全員にとって意味のある話をしたいと思います。

そうして始まったのが21世紀の社会がどのように変遷していくのかという話だった。クレイトン・クリステンセンの『イノベーションのジレンマ』を引き合いに出しながら、インターネットという破壊的イノベーションが"距離"というものを破壊すること。それによってインドや中国をはじめとした国はますます労働力やサービスをグローバルに展開できるようになり、先進国の仕事は次々に奪われていくこと。そうして訪れる「日本に住んでいるというだけで得られてた特権」という土台がどんどん崩れていくこと。そしてそんな時代で企業や個人はどう生きていくかということ。

世界の流れを俯瞰した上で「じゃあフリービットはどうしていくべきか?」という話に続いていく。Boston Consulting Group (BCG)の有名な思考フレームワークである"プロダクト・ポートフォリオ・マネージメント"なんかを使いながら「ここの市場がスイートスポットだから狙いどころやね〜」なんてことを説明していた。

それはもう圧巻だった。当時大学生だったぼくにとっては「なんちゅう説明会や」と思ったし「なんちゅう人や」と思ったわけだ。それまでに参加した多くの会社説明会は教科書をなぞるように会社概要を伝えるものだとか、だらだらと社員との座談会をするみたいなものだったから「随分トガってるなー」と感心したものだ。ただただテクノロジー分野に詳しいというだけでなく、教育学、社会学、哲学などなどありとあらゆるジャンルにまたがる知識、そしてご自身の幅広いビジネス経験から培われたであろう知恵。これらがラーメン二郎のあの野菜てんこ盛りのラーメンのように、あふれまくっているのだ。以下の記事でフリービットには読書を大切にする素晴らしい文化があったという話を書いたけれど、酒井さんがそのカルチャーを作り、そして深く根付かせることに大いに貢献されていた(というか牽引されていたと言ってもいいんじゃないだろうか)ことはとても印象に残っている。

ちなみに酒井さんの本に興味を持ったという方は、たとえばこちらとか超おすすめ。一応は子育てを念頭においた本ということだけれど、21世紀でぼくらがどのようにリーダーシップを持って生きていくのかということについて語られた示唆に富むビジネス書だ。

ビジネスパーソンの父が子どもたちに伝えたい21世紀の生き方

その言葉が人間を形作る

おそらく酒井さんからしたらぼくは若手社会人の一人に過ぎなかったと思う。老若男女問わずとっても広くて深い交流関係をお持ちの方だったから、大学生に毛が生えたような自分が印象に残っているとはとても思えない。でもそんなことは重要じゃない。

酒井さんのような、当時のぼくから見たらスーパーヒーローが語っていた言葉というものに今も昔も影響されている、ということが大事なんだと思う。

中国語が身につくか否かは一日のスケジュールに中国語の勉強が入っているかで決まる

ということを酒井さんはさらっと言っていたけれど、学習とはとどのつまり行動の積み重ねだということをぼくはその言葉で学んだし、それが図らずも自分の英語学習の核になった。質も大事だけれど、何はともあれ毎日英語に触れるようにした20代。その積み重ねの時間が、今ぼくがシアトルで外人に囲まれながら働く上での礎になっている。

そしてもう一つ素敵な言葉を。

人間はおもしろさの奴隷である

ということもよく口にされていた。ぼくらはなにも生来の欲求(食欲とか)や損得勘定だけで動くのではなく、"おもしろそう"ということがぼくらを多くの場面で突き動かすのだということだ。そしてこれは人類の起源であるホモ・サピエンスが20万年前にアフリカで誕生した後にアフリカを出てヨーロッパ、アジア、オセアニアと渡ったときからずっと続いているはずだという話もされていた(きっと"海の向こうにはなにがあるのだろうか?"と思ったのだろうという話)。この言葉はぼくにとって人生というものを力強く肯定するものだったし、「迷ったらワクワクする方に進め」という教訓は自分のキャリア形成において(なんなら仕事以外のことでも)揺るぎない羅針盤になっている。

そして上に書いた「ロジックはたまねぎの薄皮のように丁寧に重ねなくちゃいけないよ」という言葉。最近ふと気づいたんだけど、ぼくが今Amazonでチームメイトや自分の部下とDocumentを一緒にレビューする際に共有しているフィードバックだったりするのだ。そんなこんなで意識しているかしていないかはさておき、他人から発せられる言葉によってぼくらの大事な部分は形作られ、その言葉とともに生きているのだとつくづく思う。

そんなわけでぼくに多くの大事な気づきを与えてくれた、もっと正確にいうとそういった影響力のある力強い言葉を発信されていた酒井さんにぼくは(勝手に)感謝している。

生きる上で何かしらのヒントになるような言葉。そんな言葉をぼく自身も誰かに言えるようなカッチョいい大人になりたいなと思う。

今日はそんなところで。Golden Garden Parkで海を眺めながら。

それではどうも。お疲れたまねぎでした!

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