もう、あの駅に降りることはないんだ 〜実家がなくなるということ〜
先日、母が実家から引っ越しをするため、名古屋まで片付けの手伝いに行った。
実家は、当初家族5人(当時兄は東京で一人暮らし)で引っ越した古い借家で、私と弟がそれぞれ結婚して家を出、父が他界し、祖母が他界し、母1人になった。
16年経ったその家には、ゴミが山のように残されていて「片付けるのが大変だから」と母がなかなか引っ越しをしなかった。けれど、その借家はかなり老朽化していて、あちこちガタがきていた。
一人で暮らすには広すぎる家に高い家賃を払い続ける母に何度か引っ越しを勧めたが、私も遠方に住んでいることもあり、なかなか片付けも手伝えず4年が経過した。するとこの夏、ついに借家の大家から「老朽化した建物を取り壊したい。引っ越し費用を出すから年内に退去してほしい」とお達しがきた。家を空っぽにして出るのが条件だという。
ようやく母も重い腰をあげて引っ越すことを決め、新しい家を探し、捨てられるものを少しずつ捨て始めた。先月、実家の近くに住んでいる兄と弟も動き出し、廃棄業者に連絡して見積もりをとると、その廃棄料金が予想よりかなり高額だったらしい。
私にも弟から連絡がきて「廃棄料金を兄弟3人で出そう。1/3負担してほしい。昔住んでいた時の荷物があるから、一度いる・いらないを確認しにきてほしい」と言われた。
そこで先週、土曜の朝から夫婦2人で新幹線で駆けつけ、丸2日片付けと、新居に必要なものの買い出しなどを手伝った。
私が住んでいた部屋の押入れには、たくさんの若い頃の遺物が残されていた。卒業証書や卒業文集をはじめ、大学時代の部活の資料や就活ノート、新卒で入った会社の仕事ノート、そして日記や手紙が大量に出てきた。
それらをひとつずつ見て、いる・いらないを精査する。目に触れてしまう過去の自分の稚拙な思考に気分が悪くなりながら、なんとか一次選考を終えた遺物を自宅に送るため、段ボールへの梱包を始めた。
段ボール一箱はあっという間に埋まり、入り切らないものをどうしようか考えた。昔の手紙や年賀状は自宅に送ったところでどうせまた押入れで眠るだけ。見返すことはないだろう。もらった手紙や年賀状を捨てるのは忍びない気持ちにはなったが、学生時代に交わされたそれらがこれからの人生で必要になることはないだろう。二次選考の結果、段ボールに入り切らなかったそれらは燃えるゴミとして捨てることにした。
廃棄業者の最終見積もり前にできるだけ捨てられるものは捨てていこうと、兄と弟も休みのたびに片付けにきていて、毎週燃えるゴミを30袋くらい出していると聞いていたが、私の部屋からも30袋くらいゴミが出た。
引っ越しの片付けは、人生の清算のようなものだ。これまでの人生に必要だったものが、これからの人生にも必要かどうか、自分と向き合う作業だ。
母の新しい家には母がこれからの人生に必要なものだけを持って行ってもらうことにした。だから新しい家は、もう実家というより、母の家だ。
もう帰る場所はないのだな、と改めて思った。いつか母がいなくなり、その家を引き払ったら、私はもう名古屋に帰ることはなくなるのかもしれない。実家がなくなるということは思っていたより人生の大きな変化なのかもしれない。日が経つに連れ、じわじわと寂しさが募る。
もう、あの駅に降りることはないんだ。
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