生きるために化粧をしていた私が、生きるために化粧をするのをやめた話
自己紹介
私は2年くらい前からフェミニズムに興味を持ち始めた広告制作者の端くれだ。suisai、KATE、TWANYの使用経験があるKANEBOユーザーでもある。そんな目線から今回の広告についての思いと、次へのご提案を熱く語らせてほしい。
第一弾は刺さったのに・・・!
昨年公開された第一弾のCMを見て、「KANEBOさんすごい」と思った。Twitterでいいねを押した記憶があるし、ギャラクシー賞のCM部門を受賞していて業界的にも評価が高かった。「唇よ、熱く君を語れ」というコピーは、自己表現の自由をメインテーマにしており、化粧品がそれに寄り添う姿勢を見せた。女性ばかりでなく井手上漠さんという性別を超越したモデルや世界各国のアクティビストを起用することで、新しい化粧品のあり方の提言に成功していた。
今回の第二弾は、より「化粧とは何か」ということにフォーカスしたテーマ。世界中の女性たちの多様な化粧のあり方にフォーカスした内容になっている。メッセージとしては「化粧は無くても困らない些細なことかもしれないけど、生きていく上で大切な尊い営みである」ということを伝えたかったのだと思う。特に新型コロナで化粧をする意義が見直されたという背景もあるのかもしれない。第一弾に引き続き、井手上漠さんが出ているが、あまりにもナチュラルすぎて、最初は気がつかなかった。
2020年の私たちにとって化粧とは?
2020年に化粧を真正面から語るということは、化粧品会社さんにとっては過去に経験したことのないチャレンジなのではないか。私たち女性が化粧に感じているのは「喉も潤せない、お腹だって満たせない」どころの話ではない。アイラインが上手く引けなかったとか、マスカラがパンダになったとか、そういうレベルでもない。化粧はときに女性の尊厳を傷つける凶器として社会に利用されてきた。そのことに少なからぬ女性が自覚的になってきているのだ。もちろん化粧品自体が悪いわけではなく、むしろ絶え間ない企業努力によって進化をしてきているのだけれど。古い男性社会が強いてくる、女性らしい生き方の押しつけに辟易する人が増えたのだと思う。
生きるために化粧をしていた頃の私
ここからは個人の体験になって恐縮だが、30代女性の定性データとしてお読みいただきたい。20代の頃の私はまさに「生きるため」に化粧をしていたと思う。世間では第二次安倍政権の「輝く女性」政策が盛んに謳われていた。誰にも嫌われない全方位にウケるメイクをして愛される社員でいることは私にとって大命題だった。入社してすぐ、派遣社員さんはメイクがバッチリで女子力が高いのに、バリキャリの私はメイクが下手で洗練されていないことを何となく揶揄され、自分のメイクスキルが低いことは自覚していた。仕事で評価してもらうために、女性としての側面、つまり化粧でボロを出すことは避けたいと思っていた。社内ではメイクについて男性が女性を品定めしているのをよく聞いた。プレゼン前に徹夜をして化粧してない女性の同僚を、男性の同僚が「顔がヤバイ」と影で話していた。いつもと違うメイクをした同僚に対して、「色気づいてる」とか「いい女ぶってる」と批評する男性の同僚もいた。自分自身も肌質が荒い、ニキビができているなどと上司や同僚に指摘された。彼らに悪気はなく、距離を縮めるための発言だったのだと思う。深夜残業の時も化粧を落とせなくて、肌荒れしながらファンデを一生懸命ぬっていた。夜型の自分の肌は人より速く劣化するだろうと感じ、積極的にアンチエイジング化粧品やエステに投資をした。そんな若い女性はネットではスイーツ(笑)と呼ばれ「見た目にばかりこだわって中身がない女」とされた。見た目が悪いとバカにされるのに、見た目を磨いたら磨いたでバカにされる。
生きるために化粧をするのはやめた
2020年の私は生きるために化粧をしていない。それは年齢によるものもあるだろうが、海外の友人や SNSで知ったフェミニズムの影響も大きい。ファンデーションを塗ると、どのブランドでも数時間後にニキビができるので、下地とパウダーだけにしたりとか、日焼け止めしか塗らないことも多い。(化粧品会社さんごめんなさい・・)ニキビができないファンデーションを探した時期もあったが、そのために百貨店やドラッグストアを探し回り、コスメサイトを見まくるコストがもったいないのだ。STAY HOMEしてる今はZOOM会議があっても化粧をしない。ファンデは塗らないし、ヒゲや眉毛をぼうぼうに伸ばして楽しんでいる。(女にもヒゲって生えるんです)仕事が終わってメイクを落とさなくていいことの、なんと気持ちいいことだろう。「人に会わないのをいいことに堕落した女」と言われるだろうか。私はそうは思わない。生きるために化粧をしていた自分の写真からは悲壮感が漂っている。今のストレスをかけられてない自分の顔の方が、輝きを強制されていた頃より輝いている気がする。
化粧との心地いい距離感とは?
でも自粛解除後、久しぶりのお出かけ前に化粧したのは楽しかった。自分で自分を変化させる面白さ。心に色がつくような気がした。その時の私は生きるために化粧をしていただろうか?たぶん違ったと思う。自分に都合の悪い化粧をカットした挙句に残った、自分がしたい究極の化粧。クレンジングというコストを払わなければいけないとしても心が躍った。
化粧との付き合いは15年ほどになる。初めての化粧、化粧との蜜月、義務化、マンネリ化、簡略化、休息、復縁、新たな発見・・くっついたり離れたりを繰り返しながら、厄介で魅力的な化粧という魔法に向き合っている。男社会から押しつけられる化粧を見直して、ちょうどよい距離感をアップデートしていきたい。私のようにはっきりと言語化するかはともかく、女性には化粧をネタにして自尊心を傷つけられた経験が多かれ少なかれあるのではないか。生きるために化粧をする人を否定はしないけれど、生きるために化粧をしなければならない社会は息苦しいのではないか。
今回のKANEBOさんの原稿は、せっかく化粧についての考え方をアップデートしようとしていたのに、「生きるために化粧をする」ことが辛かったあの頃に私を引き戻してしまったように感じた。もちろんそんな意図がなかったことは分かっている。ちょっとしたボタンのかけ違いからそうなってしまったのだと想像する。だからとても残念で仕方がない。
化粧広告もアップデートされてきた
化粧が女性に与える抑圧について触れる広告が日本でも少しずつ増えてきた。化粧なんてしたくないと思っている2020年の私の心を動かした広告メッセージたちを紹介したい。
KANEBOさんの 「I HOPE」第一弾も心を動かされたひとつだった。
ちなみに過去にも「化粧」=「生きる」を結びつけた広告はあった。例えば資生堂が東日本大震災後に出した「お化粧をする。私はここにいる。」という広告。
これも化粧と生きるをつなげる広告だったが、あくまでも個人の主観として描かれていたこと、そして不安な毎日の中に寄り添う化粧を語っていたので気にならなかったのかもしれない。「生きるために化粧をする」は主語が「私」ではなく、原理原則のように見えていたことも、モヤモヤした原因だったのかもしれない。あと何より時代が違った。
カネボウさんへのご提案
私はKANEBOさんは女性の化粧に対する価値観をアップデートさせるポテンシャルのあるクライアントさんだと信じている。だから謝罪でも撤回でもなく、次に作る広告では、社会が化粧を使ってどのように女性を抑圧し傷つけてきたかという目線を持って企画を立ててほしいのだ。日本の老舗化粧品ブランドがその領域に踏み込むのは難しいことだということは、十分に理解している。
そしてもし男性の担当者がいたとしたら、毎日フルメイクをしてみてはどうだろうか。「僕は忙しくてそれどころじゃない」「僕が化粧なんてしたら皆に笑われる」と思う人がいるかもしれない。でも睡眠時間が世界で一番短いと言われる日本女性だって忙しくてそれどころじゃないし、ジェンダーギャップ121位の国で容姿をバカにされるリスクをとりながら化粧をしているのだ。実際に化粧をしないとしても、化粧をする女性の努力を手放しで美化することから、さらに一歩進んでほしいと願う。
次のCM制作の際のご参考までに、以下の書籍もおすすめしたい。
最後になりますが、女性を応援するための企業広告に尽力してくださった方々に、心からの尊敬と感謝を送ります。私はKANEBOさんチームの次の挑戦を応援しています。