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【方言の復権・メディアの功罪】ちむどんどん、であいもん、王林、まがりせんべい?

最近、さまざまなメディアで方言をよく耳にします。
標準語(厳密には日本に標準語は存在しませんが)が日本で大きなシェアを占めていますね。独占禁止法に抵触しないのでしょうか。いずれにしても、方言にしかない表現はたくさんあります。それらが失われることがないようにしたいです。

マンガの場合~『であいもん』~

○あらすじ

和菓子でつながる輪。夢やぶれて京都に帰ってきた青年は実家の和菓子屋相続あらそいに巻き込まれて……。ライバルは小学生?

○京都弁

初めてこのアニメを見て、(アニメを見て面白かったのでマンガを購入しました)いちばん衝撃を受けたのは、登場人物の言葉が全て京都の方言だったことです。もちろん、方言を使うキャラクターはアニメでも、小説でも散見されますが、そこでは方言が一種の〈記号〉として扱われていました。しかしこのマンガの良いところは、方言が〈日常〉であることです。あたりまえのように方言を使い、それが何ら特別ではない。だからこそ、この作品の雰囲気を温かいものにして、読者の心にふるさとが息づいてくるんですね。その点でいえば、『ちむどんどん』も沖縄弁?を使っています。

ドラマの場合~『ちむどんどん』~

○あらすじ

きょうの料理は何にしようかしら?迷える主婦の知恵袋に!沖縄の料理で食卓を彩るNHKドラマ開幕。差すような日差しと海風が自然を育むのは、沖縄のやんばる。主人公は比嘉家の四人兄弟の次女・暢子(のぶこ)。彼女のかよう小学校には東京からきた転校生が…。

○沖縄人(うちなーんちゅ)方言

がっつり沖縄ことばを浴びることができます。沖縄ことばの監修は藤木勇人氏。沖縄ことばは難しいです。それもそのはず。ユネスコ曰く、沖縄ことばは”沖縄語”という扱いですから!日本で消滅の危機にいある〈言語〉として沖縄語が指定されているんです。ほかには、アイヌ語、八丈語、奄美語などが該当します。

まさに、別言語といってもいい〈沖縄語〉が本土の視聴者にも通じるのは藤木氏の言語感覚の妙といっていいでしょう。彼の努力と工夫のおかげで、我々もドラマを楽しむことができているのです。ただ、それだけじゃない。配役にも沖縄出身の芸能人を配役しています。主演・黒島結菜さんは沖縄県糸満市で生まれた方です。方言を使っているタレントさんといえば王林さんもいらっしゃいますね。
沖縄復帰50周年を前にして、このようなテレビドラマが作られたそうです。きっと関係者としては、「沖縄を知ってほしい」という思いがあるのでしょう。しかしわたしは、ここに「方言に誇りを持ちたい」という思いを感じます。いいえ、きっとその思いもあるのでしょう。言葉と歴史、文化はどうやっても切り離せないものですから。

タレントの場合~王林さん~

○王林さんはアイドル

最近、テレビを見ていると、王林さんの姿があります。青森県弘前市出身で、りんご娘のメンバー。現在も、東京の収録のために青森から足を伸ばしているそうですよ。地元愛を感じます。さて、テレビの世界というのは面白くて、関西弁がトップシェアを誇っています。東京のテレビで、ですよ。そしてそれに違和感を感じる視聴者も少ないはず。そういう業界で、王林さんが異色を放っていますね。

○津軽弁

彼女が使いこなしている方言は「津軽弁」。なにをいっているかわからない方言でもともと有名でしたね。薩摩弁と津軽弁の二大巨頭! ちなみに青森弁は存在しません。青森県の方言は大きくふたつに分けて、津軽弁と南部弁が存在します。分かりにくいで有名なのは津軽弁のほう。南部弁は青森と岩手にかけて広がっている方言で、こちらは津軽弁とくらべて理解しやすいです。

ちなみに、どうして〈難解方言の二大巨頭〉が日本の端っこ——青森県と鹿児島県——に位置しているか疑問に思ったことはありませんか? 
この疑問に答えてくれるのが、方言周圏論です。平たく言うと、方言は文化の中心地から同心円状に広がっていくという学説です。日本民俗学の父・柳田国男が提唱しました。当時の文化の中心は京都でした。その京都で発生した言葉は、どんどん外側に広がっていきます。しかし、現在でも新しい言葉が古い言葉を押しやってしまうように、かつての京都でも新しいことばが古い言葉を外側へどんどん追いやってしまったのです。その果てが青森県と鹿児島県だったということです。

方言も興味深いでしょう。そう思ってくれたあなたには、『ことばの地理学』という本をおすすめします。気になる方はよんでみてはいかがでしょうか。


お菓子の場合~まがりせんべい~

○ぽたぽた焼 VS まがりせんべい

亀田製菓のおせんべいは本当に美味です。わたしはぽたぽた焼が大好物なのですが、先日はまがりせんべいを食べていました。どっちも個包装されているから、便利ですよね。その包装にも遊び心があって、「おばあちゃんの知恵」だとかそういうコラムがあります。それをよみながらお煎餅を食べる。緑茶を飲む。いいですね~。

○方言、いろいろ。

それで先日、まがりせんべいを食べていたのですが、包装のコラムが各地の方言集だったんです!しかも、実家の方言が掲載されていたんです。方言に目を向ける亀田製菓さんの視点も素晴らしいし、なにより方言が「そこにある」ことを認めてくれたような気がして、嬉しいです。


方言ははずかしくない!!

方言が使われなくなっているというのはあるいみ仕方ないことです。「方言を保存しろ」「守って滅びろ」なんて主張はしません。ことばは生き物です。だのに「保存」なんて半殺しみたいなものですから。でも、何より悲しいことは、人々が方言を〈忘れよう〉としていることです。
それはたとえば、上京した大学生が訛りを消そうと頑張ったり。ビジネスの場で、教育の場で〈正しい〉日本語が使われようとしていたり。無視されて、ないものにされて、透明化されて……そして消えてしまう。そんなに悲しいことがあるでしょうか。
ではどうすればそれを防げるでしょうか。「方言ははずかしくない」とか、「方言に誇りを持て」とか、そんなうすっぺらい言葉でどうにかなることではないでしょう。だからわたしは考えます、方言を使った小説を増やしてほしい、と。方言に増える機会が増えれば、方言の露出が増えれば、徐々にではありますが「標準語 > 方言」の無意識差別の構造を切り崩せるはずです。そうして少しずつでも方言の使用が広がって、抵抗が薄れて、自発的に方言を話そうと思ってくれる人が増えたら、きっとそこには多様性を受け入れる柔軟な日本が現れてくれることでしょう。

方言の問題は根深いです。個人レベルでは、「方言を使わない」選択は一種の自己否定としてアイデンティティを傷つけることがあります。もっと広いレベルだと、地方差別の温床になりかねません。「方言を使わない」という選択は間接的に標準語の優位を認めることになり、方言の地位を低めることになります。その方言差別は、きっと地方差別の問題と通底しているでしょう。標準語の優位が、東京の優位意識を押し上げることは確かです。二極化が進む日本で、先ず方言から始めてみませんか。多様な方言を認める社会は、多様な生き方やパーソナリティを認める心を涵養してくれるはずです。