見出し画像

子育ては、子どもの手を借りて、自分を再構築するのだと思う。

#20240319-376

2024年3月19日(火)
 見出しの下にある「#」からはじまる数字は、年月日と投稿数なのだが、365――1年分になったら振り返りをしようと思っていた。気付けば、370を過ぎている。
 今日は、子育てについて最近思うことを書きたい。

 真面目であること。
 今の日本社会において「長所」か「短所」かと問われれば、「長所」になると思う。もちろん真面目「過ぎる」となれば、かたくなさが漂い、頑固者、柔軟性がない、窮屈なやつと「短所」に傾くが、これはどんな性質であれ、度が過ぎれば長所も短所になる。

 私は私を真面目だと思う。

 もちろん、全方位「真面目」であるわけではない。ちゃらんぽらんな面もある。ずぼらな面もある。だが、総じて律儀で真面目な面が強い。
 ほぼ毎日noteに1500字前後の記事を更新している点だけでもわかると思う。このところ、毎日更新しなくなったのは、「私の習慣」になったからだ。
 書かないとスッキリしない。だが、体調やスケジュール上、書く時間を割くのが難しいときもある。そんなときに無理をして書かなくても、書くことをやめてしまうことはない、と思えるようになった。
 習慣化すれば、ときに無理は禁物もアリだと思う。

 真面目であることは、つい最近まで長所だと思って生きてきた
 それが子育てをはじめて、この生真面目さがあだにさえなると感じる場面が増えた。

 私たち夫婦には実子がいない。
 里子のノコ(娘小4)がはじめての子育てだ。
 しかも、幼稚園年長児からの委託のため、妊娠と乳児をスッ飛ばして親になった。
 子どもの成長とともに親もゆっくり成長し、変わりゆくのだろうが、そんないとまがなかった。
 身近に子どもがおらず、振り返れば自分だって子どもだったくせに、そんなことはとうに忘れて棚に上げ、衛生面から時間配分までどっぷり大人基準になっていた。

 無駄に汚さない。
 予定はありきのもの。

 この2つを早い段階で手放せた人は、子育てにおいて気持ちの負担が心底軽くなると思う。
 つまり、大雑把で、大胆で、図太くて、やわらかな人
 自分の常識から外れても笑い飛ばして、受け入れられる人が子育てにおいては最強だ。
 多分、おそらく、それが大いなる「愛」なのかもしれない。

 なんでお皿があるのに、パン屑が床に散らばってるかな。
 すべり台でついた砂まみれの服のまま、ソファーに座ってるし。
 30分見たらTVテレビを消すって自分でいったよね。
 なぜ鉛筆をそのままランドセルに入れるかな。
 水筒をいったい何回学校に忘れるんですか。
 そんなに多くないんだから、出された食事は食べ切ってよ。

 ふふふ、書きだしたら止まらない。
 ノコと暮らして4年半が過ぎた。5年目が見えてきた。
 ようやく最近になって、小言をいいながらもノコを「そんな生き物だ」と思えるようになった。
 それでも、時折「クソ真面目」な私が顔を出して、「もうやってらんない!」と叫ぶ。

 近い時期に里子を委託された里母がいう。里子が「可愛くてたまらない」。
 少し前に特別養子縁組をしたのだが、家庭裁判所の調査員が里子の話をしっかりたっぷり聞いてくれるので嬉しかったと笑った。
 委託前からその里母は「愛」があふれる人だったのかもしれない。養育するなか、早い段階で自分の常識にぶつかるこだわりを手放せたのかもしれない。
 それはわからないが、私はまだそこには至っていない。
 そして、彼女が私の目指す里母の姿なのかはわからない。

 今、私がわかるのは、子育ては知らずに「普通」だと思っていた自分の「常識」を突き付けられる
 自分の「常識」を見つめ直し、解体し、手を加えて、子どもとの落としどころを探り合う。
 毎日、毎日、それを繰り返す。
 子育ては、親に育てられた自分を粒に戻して、今度は新たに子どもの手を借りて自分を構築し直す。
 私はノコを育てているのではなく、ノコに作りかえられている

この記事が参加している募集

子どもに教えられたこと

これからの家族のかたち

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?