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 諸星大二郎といえば、昔はカルト作家?であり、いまや日本を代表する奇譚漫画家ともいえる存在です。
 その彼が、1974年に手塚賞をとった短編『生物都市』は、昭和の素朴な子どもたちの心に強烈な刻印を残したトラウマ漫画でした。
 (以下は、ネタバレ)
 内容は、探査宇宙船が、木星の衛星イオから運んできた謎の感染性の「何か」により、人間(生物)と金属類とが次々と融解し、融合していってしまうという物語です。
 物語の舞台は、日本の地方都市ですが、やがて全世界が、どうしようもないままに「すべて溶けあってしまうだろう」という事態を、奇怪な造形と筆致で描いたものでした。
 無機物質と生物が融合してしまう、異形な映像の薄気味悪さもさることながら、その意識や心までもが、融解した集合体に飲まれていってしまうという事態が、人間的で文化的な価値観の一切を洪水のように押し流してしまうかのようで、怖ろしくも感じられたのでした。
 一方、夢の世界への郷愁にも似た、その鉱物的な世界に対する反感と魅惑が、両義的な感情として心に残されたのでした。

 ところで、このような世界が「鉱物化」していってしまう物語や、一見生物に見えない無機物質が意識体であるという話、惑星が単一の意識体であるというような話は、SF小説の世界では、比較的多く見られるテーマとも言えます。
 そこには何か、私たちの「意識」や「文化」の思い込みに対する異議申し立てがあるように感じられます。

 ところで一方、広く文化的な類型、たとえばシャーマニズムの伝統などに目を向けてみますと、そこでは「鉱物」や「石や岩」などを、私たちの仲間や同類と考える世界観も存在しています。
 石や鉱物たちは、「長老(叡智)」であり、大地に存在している私たちの大先輩というわけです。
 そこには、私たちの心の基層部に、鉱物的なものとの親和性を感じさせる、何か「元型」(ユング)のような傾向性があるのかもしれないと感じさせるのです。

 ところで、拙著『砂絵Ⅰ』の中では、変性意識状態(ASC)にまつわるさまざまな意識の様態を見てみました。
 その際、鉱物に関わる「聖地体験(パワースポット)」の事例も取り上げました。
 それらの体験は、現在の人類がよく理解してない形で、鉱物たちと私たちは、さまざまな野生的なつながりがあることをうかがわせてくれるのです。
→拙著『砂絵Ⅰ: 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』

 実際、変性意識状態(ASC)における、さまざまな事例は、この不思議な親和性の背後にあるものについて、ヒントを与えてくれる場合が多くあるのです。

 スタニスラフ・グロフ博士は、膨大かつ多様な変性意識状態(ASC)の体験を、体系的に整理・研究したサイケデリック研究の大家ですが、その『深層からの回帰』(菅靖彦、吉田豊訳、青土社)には、次のような興味深い体験報告も含まれています。
 これは、治療用幻覚剤のLSDによる体験セッションの報告ですが、変性意識状態を通して見た、鉱物状態との同一化、または鉱物的状態についての、啓示的な洞察ともなっているものです。

 ここでLSD被験者は、あるセッションにおいて、自分自身を、琥珀や水晶、ダイヤモンドなどの鉱物と、次々に深く同一化していく(鉱物そのものになる)という奇妙な体験をしていったのでした。

「セッションのこの時点で、時間は止まっているようだった。突然自分が琥珀の本質と思われるものを体験しているのだ、という考えがひらめいた。視界は均質な黄色っぽい明るさで輝き、平安と静寂と永遠性を感じていた。その超越的な性質にもかかわらず、この状態は生命と関係しているようだった。描写しがたいある種の有機的な性質を帯びていたのだ。このことは、一種の有機的なタイムカプセルである琥珀にも同じく当てはまることに気づいた。琥珀は、鉱物化した有機物質―しばしば昆虫や植物といった有機体を含み、何百万年もの間、それらを変化しない形で保存している樹脂―なのだ」

「それから体験は変化しはじめ、私の視覚環境がどんどん透明になっていった。自分自身を琥珀として体験するかわりに、水晶に関連した意識状態につながっているという感じがした。それは大変力強い状態で、なぜか自然のいくつかの根源的な力を凝縮したような状態に思われた。一瞬にして私は、水晶がなぜシャーマニズムのパワー・オブジェクトとして土着的な文化で重要な役割を果たすのか、そしてシャーマンがなぜ水晶を凝固した光と考えるのか、理解した」

(グロフ、同書)

やがて、この体験は、水晶からダイヤモンドへと移っていきます。

「私の意識状態は別の浄化のプロセスを経、完全に汚れのない光輝となった。それがダイヤモンドの意識であることを私は認識した。ダイヤモンドは化学的に純粋な炭素であり、われわれが知るすべての生命がそれに基づいている元素であることに気づいた。ダイヤモンドがものすごい高温、高圧で作られることは、意味深長で注目に値することだと思われた。ダイヤモンドがどういうわけか最高の宇宙コンピュータのように、完全に純粋で、凝縮された、抽象的な形で、自然と生命に関する全情報を含み込んでいるという非常に抗しがたい感覚を覚えた」

「ダイヤモンドの他のすべての物質的特性、たとえば、美しさ、透明性、光沢、永遠性、不変性、白光を驚くべき色彩のスペクトルに変える力などは、その形而上的な意味を指示しているように思われた。チベット仏教がヴァジュラヤーナ(金剛乗)と呼ばれる理由が分かったような気がした(ヴァジュラは『金剛』ないし『雷光』を意味し、ヤーナは『乗物』を意味する)。この究極的な宇宙的エクスタシーの状態は、『金剛の意識』としか表現しようがなかった。時間と空間を超越した純粋意識としての宇宙の創造的な知性とエネルギーのすべてがここに存在しているように思われた。それは完全に抽象的であったが、あらゆる創造の形態を包含していた」

(グロフ、同書)


 さて、興味深い体験報告ですが、ここには、どこか私たちの遠い根源的な記憶を刺激するような、SF的郷愁を誘うような何かが感じられます。

 また、別の観点でいえば、例えば、「精神病圏」といわれている一見否定的なものの背後などでも、このような「元型的な力(意識)」の作用が、どこかで働いているのではないかと類推することも可能なわけです。
 統合失調症(精神分裂症)に見られる、ある種の特徴などには、そのような鉱物的なものとの親和性・共振性を、強く感じさせるものがあるからです。
 また、多種多様なアウトサイダー・アートの造形などからも、そのような質性が、感じ取られるものとなっているからです。その硬質性、透明性、反復性、無限性などは、しばしば、原質的で、鉱物的な風景に私たちを誘うものでもあるのです。

 そのように考えると、これらの傾向性は、それほど奇異なものではなく、私たちの精神の基層に根ざした何らかの表現形態であると考えることもできるわけです。

 そして、シャーマニズムの伝統の中にいる人たちも、また、私たちの身近にいる鉱物嗜好者たちなども、鉱物に心身の内奥にあのものを投影することで、鉱物の内部に、何かの「意識の基層的な姿(宇宙)」を感じとっている可能性も考えられるわけです。

『生物都市』が、私たちの中に引き起こす不思議な胸騒ぎは、そのようなイメージを想い起こさせるのです。


※変性意識状態(ASC)やサイケデリック体験、意識変容や超越的全体性を含めた、より総合的な方法論については、拙著
『流れる虹のマインドフルネス―変性意識と進化するアウェアネス』
『砂絵Ⅰ 現代的エクスタシィの技法 心理学的手法による意識変容』
をご覧下さい。


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