3.2 ヴィーナス —グロテスクの系譜—
VENUS
「カレンダーには書体の魅力が詰まっている」という話で盛り上がる一同。ピークスオリジナルのフォントカレンダーは毎月書体を替えて制作し、1月はヴィーナスなのだが、意外と情報がない。
山田「さて、1907年発表とかなり古い書体だということがわかったヴィーナスなんだけど、1907年を古いと感じるか、割と最近と感じるか、このあたりで一般の人と僕たちの捉え方の差が出てきてそうだよね」
渡邊「そうですね。『デザイナー』と一括りにするには難しい問題があるように思うので、『書体が好きでいろいろ調べている人』といったところですかね……」
山田「この体感を得られればあなたも書体マニアかも?(笑)」
伊藤「確かに、文字って、それこそ日本では『古事記』という最古の歴史書が奈良時代に出されたということなどが知識として定着しているので、1907年というとだいぶ最近の感じがしちゃいます。僕は完全に一般の人ですね(笑)」
渡邊「古事記や日本書紀などその時代の文字はあくまで『書き文字』ですよね。私たちが扱っている『書体』の歴史はつまり『活字』の歴史になるので、そもそもスタートがずっと後の時代になるんですよ」
伊藤「なるほど!」
山田「そうだね。欧文書体(活字)は、ドイツのヨハネス・グーテンベルクの1445年頃の発明でスタートしたとされているから、日本でいうと室町時代。足利義政が8代将軍になる(1449年)ちょっと前だね」
伊藤「ふむふむ。でも、スタートは500年以上も前になるんですよね? そう考えても、1907年は結構最近な感じがしてしまいます」
渡邊「実はほかにも要素があって、活字の初期はずっとローマン体の歴史が続くんですよ。ヴィーナスはゴシック体ですよね? なのでゴシック体の起源をたどる必要があります」
山田「ゴシック体(サンセリフ体)の歴史は『2ラインズ・イングリッシュ・エジプシャン』からスタートして、これが1816年のことなんだ」
伊藤「!! グッと現代に近づきますね!」
山田「初期はまだ相当粗いゴシック体が多かったのかな、浸透するまでに結構時間がかかっているね。1836年にウィリアム・ソローグッドが『SEVEN LINES GROTESQUE』なる書体を発表したりしているけど、取り立てて紹介するような書体はあまりない。次に出てくる有名なものが、1898年にドイツのベルトルド活字鋳造所が発表した『アクチデンツ・グロテスク』なんだ」
伊藤「そういうことか! 理解できました! ゴシック体の歴史って、実際のところはアクチデンツ・グロテスクからスタートしたようなものなんですね。それほど衝撃的な書体だった。そうすると、1907年のヴィーナスは最初期の部類に入りますよね」
渡邊「伊藤さんがこっちの世界に足を踏み入れた(笑)。それはさておき山田さん、ヴィーナスはやっぱりアクチデンツ・グロテスクの影響を受けているんでしょうか?」
山田「それはもちろんそうだよ。ヴィーナスが登場するまで数年だけど、この間の流れを説明しておくと……
1898年:アクチデンツ・グロテスク発表(ドイツ・ベルトルド活字鋳造所)
1903年:リフォーム・グロテスク発表(ドイツ・ステンペル活字鋳造所)
1905年:フランクリン・ゴシック発表(アメリカ・ATF社)
1907年:ヴィーナスシリーズ発表(ドイツ・バウワー活字鋳造所)
このようになる。いかにドイツで流行ったかがわかるけど、アメリカも追随しているところを見ると、アクチデンツ・グロテスクは本当に優秀な書体だったんだろうね」
渡邊「なるほど。素朴な疑問なんですが、ヴィーナスが影響を受けたのはアクチデンツ・グロテスクだけなんでしょうか……。アメリカのフランクリン・ゴシックは場所が離れているし、時間的にも近いので考えづらいのですが、リフォーム・グロテスクあたりは同じドイツですし、期間も4年離れているので影響を受けていてもおかしくないかな、と思うんです」
山田「す、鋭いね。ちょっと『encyclopedia of typefaces』で確認してみようか」
伊藤「えーっと…………な、なんと! 山田さん、これを見てください!」
山田「よく似てたね(笑)。ゴシック体でも差が出やすい K や R 、t などがそっくりだから、影響を受けていないとは考えにくくなったね」
渡邊「リフォーム・グロテスクは1930年代に Klingspor によってモダナイズされていて、その書体を『INFORMATION』と呼んでいるらしいのですが、これの G が今度はヴィーナスの G に寄せてきていたりして本当に面白いです」
伊藤「書体って、前の作品の良いところを受け継いで作られることが多いんですよね? 今回のヴィーナスは、それ自体からはあまり情報が得られませんでしたが、『つながり』を意識して別の視点から見てみることができ、そこからたくさんの発見があったのでとても楽しかったです!」
山田「割と大切なことなのかもね。どうしても、シリーズやファミリー単位という視点が多くなってしまうけど、それだとデザインの幅も固定化されちゃいそう。いろんな見方ができることが大切だね」
渡邊「ちなみに、山田さんから先ほどちょろっとお話が出た『SEVEN LINES GROTESQUE』ですが、これ、かっこいいですね」
山田「あ、やっぱりそう思う? これは、ソローグッドの鋳造所が初めて出した小文字を含むサンセリフ体で、なんと、『グロテスク』の初出でもあるんだ!」
渡邊「そうだったんですね! それまではセリフの付いたローマン体が主流だったわけで、新出のサンセリフ体は『セリフが無くてなにか気味が悪い、奇怪な』(『欧文書体百花事典』より引用)という印象をもたれたんですよね。その当事者が『SEVEN LINES GROTESQUE』だったなんて!」
伊藤「ヴィーナスが思わぬ気づきをもたらしてくれましたね……!」
付録
山田「伊藤くん、そういえばこんなカレンダーもあるよ」
伊藤「な、なんですかこのオシャレなカレンダーは!」
山田「Verlag Hermann Schmidtというドイツの会社が毎年作っている『TYPODARIUM』という書体カレンダーなんだ。日めくりで、1日ずつ書体も違えばデザイナーも違うという(笑)。毎年買っているんだけど、開封はしていないんだよね」
伊藤「あの、一生のお願いを今してもいいですか」
山田「なんだよ(笑)」
伊藤「どれか開けてみてください!」
山田「えー、開けるの? せっかくとっておいたのに……。でもまあ、僕も興味あるし、見てみようか!」
~2016年版を開けてみる二人~
山田・伊藤「お、おおぅ」
伊藤「す、素晴らしいですね……」
山田「なんとまあ……」
伊藤「僕、このカレンダー買います2021年から」
山田「ふっ……」
※詳細をお載せすることができず、申し訳ありません。気になってしまった方は こちら へ!
日本でも手に入るようです。
参考文献・図書
『encyclopedia of typefaces』(Jaspert, Berry and Johnson)
『普及版 欧文書体百花事典』(組版工学研究会)
『Eye 98』(Eye Magazine)
『TYPODARIUM』(Verlag Hermann Schmidt)
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