7.2 レンナー —ドイツの背負いしもの—
FUTURAの作者として名高いレンナー。彼はいかにして渾身の一作にたどり着いたのか……。
大野「レンナーが、1927年にFUTURAを発表するまでの社会情勢について、おさらいする必要がありそうですね」
山田「その辺の話は伊藤くんのほうが詳しいかな」
伊藤「産業革命の後、世界は急速に近代化の道をたどりましたよね。社会構造にも変化が起きたのですが、20世紀の初頭は、芸術とデザインの分野も大きな転換期となったようなんです」
山田「未来派、キュビズム、シュプレマティスム、ダダイズム、シュルレアリスム、ディ・スティル、構成主義といった芸術運動が起こるんだけど、これらは『古い価値観からの脱却』という点において共通するところがあるよね」
大野「総じて、モダニズムと呼ばれているものですね」
渡邊「なるほど。ドイツという国にかんしては、どうだったんでしょうか」
伊藤「ドイツは、20世紀の変わり目の頃から、プロイセン王国、ドイツ帝国、ワイマール共和国、第三帝国、東・西ドイツと、何度となく地域や国家の枠組みを変えているんだよね」
渡邊「時代に翻弄されているというか、穏やかでないというか、複雑な感じがしますね……」
山田「ドイツは、タイポグラフィの分野でも、他のヨーロッパ諸国とは違った動きを見せている。ドイツ語特有の正書法と、長い間使われてきたドイツ文字(ブラックレター体)の問題が根底にあるんだ」
大野「ドイツ語は、名詞での大文字の使用頻度が高く、他のヨーロッパ諸国の言語と比べると、2倍ほどのスペル数を持つ単語が数多くあるんだそうです。この問題のために、正書法とそれに準ずる活字組版・書体というタイポグラフィのせめぎ合いが何世紀にもわたって議論されているという背景があるんですよね」
山田「このあたりから登場するのが、印刷物を制作する新しい職能として現れたグラフィックデザイナーだ。彼らは、この伝統に凝り固まったドイツ語組版や書体の問題と真正面から向き合うことになる」
渡邊「ノイエ・ティポグラフィのことですか?」
山田「うん、問題提起の一つだね」
伊藤「ノイエは『新しい』ですよね。つまり、『新しいタイポグラフィ』となりますか?」
大野「そうですね。伊藤さんは、ノイエ・ティポグラフィの詳細はご存じですか?」
伊藤「ごめんなさい。名前程度です」
山田「ノイエ・ティポグラフィは、バウハウスの展覧会に影響を受けたタイポグラファー、ヤン・チヒョルト(1972−1946)によって定義づけられた、ガイドラインのようなものなんだ」
伊藤「なるほど」
山田「『ふたりのチヒョルト』という本の中に、マックス・ビル(バウハウス最後の巨匠とうたわれる建築家、アーティスト、画家、書体デザイナー、工業デザイナー、グラフィックデザイナー)がチヒョルトの講演を批評した論文(和訳)が載っているんだけど、なんと、チヒョルトがビルに対して反論した論文(和訳)も記されているんだ。チヒョルトによると、当時の広告や印刷物は、様々な書体を使って、自由気ままで、それはもうひどい状態だったらしい。そんな中で、最も明快な形態と規則に戻って印刷物をきれいにするよう試みたのが『ノイエ・ティポグラフィ』なんだって」
渡邊「マックス・ビルがなんと批評したのか気になりますね(笑)」
山田「説明するには時間が足りないなあ(笑)。詳しくは読んでみて!」
大野「ノイエ・ティポグラフィの動きが盛んだったのが1923年以降なので、レンナーの時代と重なるんですよね」
山田「時代だけじゃない。レンナーはチヒョルトと直接のつながりがあるんだ。1926年に、ミュンヘン・グラフィック職業学校の校長に就任したレンナーは、チヒョルトを招聘している」
渡邊「! 面白い展開になってきましたね」
歴史とのリンクが、書体をさらに面白いものへと導く。秀作には、必ずストーリーがある。書体談義はまだまだ続く。
参考
『イワンとヤン ふたりのチヒョルト』(片塩二朗、朗文堂)
『普及版 欧文書体百花事典』(組版工学研究会)
【附録】
8月のピークス謹製カレンダーです。
1927年からその名を知られる「FUTURA」。今回はその制作者であるパウル・フリードリヒ・アウグスト・レンナーのFUTURA Displayで構築しました。抽象的なものがお好みの方は、[90 degrees]のほうをどうぞ! 90度傾いている日が日曜・祝日です。
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