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本の虫12か月 2月


↓1月の分




『風立ちぬ・美しい村』堀辰雄
美しい村をよみかえしたくて、もう三冊めの、
風立ちぬとの抱き合わせを買う。
そう公言するのはすこし恥ずかしいけれど、
堀辰雄、しみじみと好きでたまらない。
しかし何を買えば、聖家族が入っているのですか。全集を買うまで行かずとも、もうすこし体系的に、堀辰雄を読めるようにならないかしら。
ばらばらと読んでいると、こういうふうに
いくつもだぶってしまう。



『チェルノブイリの祈り』アレクシェーヴィチ
アレクシェーヴィチを読むと、
心を閉じてしまいたくなる。
読みながら、じぶんの根を確かめる。
目には見えない根っこを。
「たといわれ死のかげの谷を歩むとも
禍をおそれじ、なんじ我とともに在せばなり」
まだ死のかげの谷を歩んだことはない。
少しずつ、少しずつ読む。
誰かの痛みを、思い出すために、
ときどきアレクシェーヴィチを読みたくなる。



『建築探偵の冒険 東京編』藤森照信
愛しています、戦前の建築。
街を歩くたびに、古い家を探してる。
知らないお屋敷を見つけたときの、幸せ。
そしてそれが解体されてしまったときの、悲嘆。
でもわたしには、藤森先生みたいに、
不法侵入する勇気はないし、今の時代には
決して許されないことでしょうから、
門の外から、ちらちらと眺めるだけ。
藤森先生、犬を連れた使用人に追いかけられて
走って逃げるまでしてる。わお。


『それから青い闇がささやき』山崎佳代子
noteで出会った大切なお友だち、
冬島いのりさんが送ってくださった本。
NATOが空爆するセルビアに、
留まりつづけた詩人の本。
ベオグラードの電気がすべて消えた夜に、
そとには青い闇がひろがっていた。
天の川と、胡桃のような星が。
窓をあけると、ヒヤシンスの香り。
ねえ、「夜と霧」を思い出すでしょう?
収容所のなかで、かれらが眺めた夕暮れを。
いとおしい、宝石のような本を、
いのりさん、ありがとう。



夢十夜で読んだ本 ①
『TUGUMI』吉本ばなな
吉本ばななは読んだことなかった。
いつも古い本ばかり読む方なので。
ものすごい速度で読み飛ばしたんだけど、
西伊豆の田舎町と、そこの旅館の家族……
というのにポエジーを感じた。
西伊豆とかいいよねえ… 
真鶴もすきだけど、どんどん東京から
離れてみたい、という
「逃げたいという願望」がいつもある。
まあ、うちから東京まで一時間以上かかるけど。



夢十夜で読んだ本 ②
「歌集 野みち」市倉寿与
わたしはこの方をまったく知らない。
歌集あるなあ、というだけで手に取った。
たぶん自費出版の歌集。アララギのひと。
ふつうの主婦で、だれかの妻で、
だれかのお母さん、おばあちゃん。
戦争中に青春を過ごして、
ながい戦後昭和を平穏のうちに過ごしたひと。
けれどそのありきたりで、平凡なような歩みも、
(というのは、祖母たちはみんな
そんな暮らしかたをしてきたから)
なんだか歴史の一部になって、
いとおしむ対象となってきている。
若き日に憧れた源実朝、だとか
伊豆や那須や箱根の旅行だの、
ただのだれかのおばあちゃん、
だけれどひとりのひととして
歌を詠むことで、じぶんというものを
持ち続けていたひと。
とおくから、何千人もいるだろう
群衆のなかのひとりのようなひとを
いとおしく見つめる、そんな歌集だった。


夢十夜で読んだ本 ③
「シューマンの指」奥泉光
ふだんだったら、こういう本は
手に取らないのだ。
けれどシューマン好きだし、ぱらりとして、
ピアノ協奏曲の描写がすばらしいので、
一時間で読み飛ばしてみた。
 音楽はとてもすばらしかった。
けれど突然殺人と自傷と同性愛が
乱入してきて、ちょっとこういうの無理……
となって、ああ、だからわたしは、
古き良き本ばかり読んでいるのか。
さあ、わたしはいつもわたしが
読むような本に戻りましょ、
となった。


『日本統治時代の台湾』
『被植民地の側へ視線を移せば、異民族に支配されるという屈辱に四百万人の台湾人が涙したが、それは同時に、また思いがけないことに、日の出の勢いで強大化する帝国の一部に組み込まれたことも意味した。その功罪を、豆腐のようにキレイに切り分けることなどできない』p232より
曾祖母の兄が、台湾日日新聞の社長をしていた。
それが気になって、ちょっとだけ調べている。


『エルサレムのアイヒマン』ハンナ・アーレント
ヨーロッパ各国が、
ナチスの反ユダヤ政策に対して、
どう反応したかの部分がとても興味深かった。
『恐怖の条件下ではたいていの人間は
屈従するだろうが、ある人々は屈従しない
だろうということである。』


『ゾリ』コラム・マッキャン
ハンナ・アーレントを読んでいて、
ロマのひとびとに起きたことを読み返したくなった。わたし自身がホームスクーリングを受けていた十数年前に、ロマの歴史を調べていた、そのときに読んで、本棚に眠っていた本を読み返す。
十七かそこらのときには読解出来なかったものが、いまは面白く読める。これは、すごい小説。
これは、すごい小説。なんていう歴史の
ディティール、これがフィクションなんて。
これはイザベラ・フォンセーカの
『立ったまま埋めてくれ』という名ドキュメンタリーから派生した小説なのだそうだ。『立ったまま』は十代の頃に衝撃を受けた本で、次辺りに読み返そうとしている。なんだか、『戦争は女の顔をしていない』(半分で挫折)から、『同志少女、敵を撃て』(未読)が出来た、のに似ていません?
良質なドキュメンタリーからは、
良い小説が生まれるのねえ。



 『ヒルビリー・エレジー』J D ヴァンス
貧困とトラウマと。
プアホワイトという言葉を初めて読んだのは風と共に去りぬだが、それからアメリカ南部に通うようになり、わたしの周りにいたひとたちは、多かれ少なかれレッドネックでヒルビリーだった。わたしは彼らの後ろに隠れていた、落ちてしまえばこうなる、という正体をまざまざと見るように読んだ。
彼らとの違いは、キリストに出会って、
聖霊のバプテスマを受けているか否かだが、
それは一概に線を引けるものではなく、
わたしは限りなくこの(精神の)貧困に近いもの
だって、目にしていたのであった。
けれどキリストが活動した場所も、辺境のガリラヤであった。ローマでもなく、シリコンバレーでもない。わたしが訳したウィリアム・ブランハムの 『我が半生』あれに出てくるのは、ほとんどこれに似たような話だ。ヒルビリーの貧困。
『心の貧しいものは幸いである。
天国はそのひとたちのものだから』
わたしは、その言葉を思う。


『ともしい日の記念』片山廣子
どうして片山廣子さんが好きなのか、
もう聞かれてもわからなくなった。
曾祖母や祖母たちの、わたしにはもうとおく
箪笥のなかにずっと眠っていた香水の匂いみたいな上品だけれど質素な世界を思い起こさせるから?
『真面目な女の内面的生活』と自らの歌を語る彼女の、地に足をつけた感じがたまらなく好きだから?
わたしはこのひとが好き。
片手はよろこびかのぞみをのせた
翡翠の飛んでくる空に伸ばして、
片方の足を馬糞の転がり
青い蝶々の群がる信濃路に付けて、
まっぴらよ、誰かであることなんて、
って微笑みながら、厳しい顔で言うひと。
とおくで見つめながら、憧れているひと。
もう忘れられている精神の貴族。
そう、精神の貴族。理想の女性として、
こころのなかに置いてある文鎮。



 

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