ふらわー

双極症ですが、根っこには「母が一番大事。だけどそれが苦しい」があった気がします。睡眠を…

ふらわー

双極症ですが、根っこには「母が一番大事。だけどそれが苦しい」があった気がします。睡眠をきちんと取り、服薬をきちんとしているので普通に暮らせています。大学卒業時のどん底から這い上がり、今は夫と娘と毎日楽しく暮らしています。

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昨日までの私、さようなら。そして今日からの私、よろしくね。

夢を見ていました。 とても絶望的で、救いがなくて、悲しい夢を。  ああ、私は母から理解してもらえなかった。 私を一番愛しているふりをされていた。 本当は私のこと、どうでもいいくせに。 私のことより、主人のことが好きなくせに。 私のことより、兄が好きなくせに。 私のことより、父が好きなくせに。 私のことより、娘が好きなくせに。 ああ、どうしてあなたと私はいつも噛み合わない、わかり合えないのだろう。 こんなにも、こんなにも私はあなたのことを想っているのに。 でも、やっと夢から

    • 昨日までの私、さようなら。 そして今日からの私、よろしくね。

      • 気がついたら隣にある幸せ

        誕生日がとても楽しかった。 興奮してなんか眠れない。(これを書き出した時、夜中の3時半) 今までのことが走馬灯のように思い出された。 22才から32才まで、対人関係において不遇の時代だった。 少しくらいは良いこともあった。 けれど、異性関係において良好な関係を保てたのは一度きりで、否定され続けた自分を肯定することが出来なくなってしまった。 19才から22才が幸せ過ぎたんだね。 これから先の人生は蛇足で、私の人生は終わったと思っていつも泣いていた。 新しい恋を探そうというポ

        • 22才の別れ

          あなたに さよならって言えるのは 今日だけ 明日になって またあなたの あたたかい手に  触れたらきっと 言えなくなってしまう  そんな 気がして 若い人にはちょっと馴染みのない歌かもしれません。   興味のある方はググってみてください。 私はこの歌のタイトルが自分に重なります。 二年半付き合って、結婚するのかなと思っていた彼氏との、別れ。   それが22才でした。 自分で問題を引き起こしておいて、相手を裏切ったくせに やっぱり恋しくて。 彼が次に付き合う人もおお

        昨日までの私、さようなら。そして今日からの私、よろしくね。

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          倒置法

          皆さんは会話する時、「主語、動詞、目的語」なんて意識せずに話されている事と思う。 私は、言葉を発した後 「あ、またやってしまったな……。」 と思う事がよくある。 というのも、詩の表現法である「倒置法」を無意識に使ってしまうからだ。 例えば、 「そのお皿を取って。」という言葉が 「取って、そのお皿を。」 だったり、 「私はこの本が好きなの。」が 「この本が好きなの、私は。」 といった具合に。 塾講師をするようになってから中学生の文法を教える事になり、改め

          眠れない夜は

          夜になると感傷的な気持ちになる。 眠りたいのに眠れない。 眠れそうで眠れない。 そんな時のお供は音楽だ。 私にとって音楽は、人との出会いの証だ。  自分から開拓するほどの行動力がないから、いつも人の影響を受ける。 この音楽は、あの人から影響を受けて聞くようになったな、とか。 歴史を振り返るようなものだ。 音楽に耳を傾けていると、自然と気分が落ち着いてくる。 不思議なものだ。 あなたの夜のお供はなんですか?

          眠れない夜は

          デリカシーのある人間とは

          私は自分のことを「無配慮で、無神経な人間」だと思っている。 だからいつもデリカシーのある人間とは?と自分に問いかけている。 ここで、デリカシー(繊細さ)について考えたい。 そもそもデリカシーのある人は、「これをやっては相手に失礼にあたる」ときちんと意識しているんだろうか。 それこそ無意識下の行動なのではないか。 だから、無神経な人間こそ 「自分は無神経だから、気をつけなくてはならない」 という自覚が必要なのではないかという気がしている。 まずは気づくことから。

          デリカシーのある人間とは

          占いと自己内省

          1.※これはあくまでも私の話占いは自分を見つけてくれる一つの手立てだと思っている。 西洋占星術や四柱推命も調べ出すと奥が深いし、意外と痛いところをつかれる。 占いなんて読めばなにか自分に当てはまっているような気がするものだが、「自分が今かけてほしい言葉」などを受け取る事もできる。 私は前の彼氏のことや今の夫のことも、一人の信頼できる占い師さんに見てもらっていた。 2.占いにかけた金額これはあくまでも試算だが、私が占いにかけた金額は三万円ほど。 一回20分鑑定で二千円

          占いと自己内省

          夫にご飯を作ってもらっている時

          以前夫に「私に聞いてみたいこと」として標題の件をお題として頂いていた。 ズバリ 「夫にご飯を作ってもらっている時、何を考えているのか」 である。    この際、付き合っている彼氏にご飯を作ってもらっている時、でも状況はあまり変わらないと思う。 皆さん、どんなことを考えていますか?   私はまず、こう考えます。 「あー、作らせてしまったな......申し訳ない。」 と。 うちの場合、洗濯も掃除もしてくれる夫のため、ご飯位は自分で作りたい。 それでも、どうしても作れない日

          夫にご飯を作ってもらっている時

          恋愛と結婚

          私はどうも惚れっぽい性質らしい。 昔からそれはそれは面食いだった。 (身の程知らずってやつです) そして恋が実ることなんて、子どもの頃はほぼなかった。だから大人になってから、少しずつ付き合う相手が増えてきたものの 「私はモテない」 という思いがぬぐえなかった。 なんということはない、「私を」好きになってくれる人と付き合えば良かっただけの話だった。 恋愛というより、勝手に1人で妄想してたのかも。 夫と結婚する前、私は「恋してる感じじゃない」ことにどうしても悩んでい

          恋愛と結婚

          油断大敵?

          結婚式を迎えてから早10か月。 私に躁状態は見られない。 眠れずにちょっと危ないと思う時はあったが、すぐにかかりつけの病院に行った。 毎日、よく笑うようになった。 お喋りはそんなにたくさんしないけど、居心地がいいからどうでも良いことでもそれなりに楽しい。 夫と一緒なら、躁状態にはもうならないのではないか? そんな油断が出てくる。   だけど、やはり油断大敵。  薬は一生飲まないといけないと思っている。 薬を止めて悪化したことは数知れないのだから。

          油断大敵?

          日々の幸せ

          そして結婚して一年になる。 まだ出会ってたった二年にも満たないが、仲良しだ。 親も夫がいるからか、もうそこまで干渉してこない。 私もいろいろとあったものだと思う。 だが、今とても幸せだ。 結婚して分かった事だが、夫はけっこうなガンプラオタクでありアニメも見る。 二人で鑑賞したドラマやアニメは数知れない。 料理も、肩肘はらなくても「美味しい」と言ってくれる。 作るのがしんどい時は、自分でも作ってくれる。 私は不思議な事に、結婚してから夫の事がもっと好きになった。 もう親に管理

          日々の幸せ

          結婚式と母の容態

          1.必要最小限の結婚式と身内の不安結婚式までに色々とやりたい花嫁は多いだろう。しかし、私達は必要最低限の準備しかできなかった。十月末に体調を崩した私は、十一月の半ばには少しずつ元気を取り戻していた。 そんな中、母がまたもやうつ状態になってしまった。前にも話したが、私と母は相性が悪いのだろうか。今度は母が結婚式に出られるか分からない状態になってしまった。 そこで頼りになったのが兄である。以前から兄との交流はほとんどなかったが、この際頼れるのは兄しかいなかったので、親族とごく親し

          結婚式と母の容態

          結婚式の準備と日常の両立

          1.急展開結婚の意志を告げたのが五月の終わり頃。それからの展開が早かった。 すぐに住む所を探し始めた。特段プロポーズはなかった。 相手もこんなに急に私が結婚まで決めた事は斜め上の出来事だったようだ。 両親に話すと、「出来たら年内に結婚式をやってほしい」と無茶振りされた。その時が七月である。いやいや、準備期間として短すぎるでしょと思っていたら、夫がそれに応えようとしてくれ、十一月に執り行う事が決まった。それからが、私の生活リズムを崩すことになってしまった。 2.準備とパート

          結婚式の準備と日常の両立

          新たな出会いと結婚を決めるまで

          1.二割バッター仲人がいる結婚相談所ではなく、自ら動く形のネット婚活が出来る相談所に登録した。初期費用が八万円程で月会費は一万円と少し。まあ、よくある無料アプリを否定する訳ではないが、身元がまず確認できるシステムだったのでここに決めた。 悲しい事に、私は全くモテなかった。顔は十人並み以下として、年齢もまあ普通。多分、「年収」に皆疑問を抱いたのだろう。 当時の私の年収は二百万程。「地雷案件(それもまあ合ってるが)」として扱われたのだろう。やはり普通に会社員をやっていれば、三百

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          躁の波

           私は双極性障害という気分障害を患っている。今までで躁の波を感じたのは、大学4年生の終わりの22歳、公務員として働いていた時の26歳、学習塾の正社員を辞めてしばらく経った頃の30歳、結婚して式の準備と学習塾のパートを両立させようと頑張っていた33歳の4回ほどだ。  このうち、入院するまでに至った波は22歳と30歳の2回。26歳と33歳の時は通院するのみに留まった。いま現在、落ち着いた状態だからこそ振り返ることができる。少し長くなるかもしれないが、書き留めて整理してみたい。