結婚式の準備と日常の両立

1.急展開

結婚の意志を告げたのが五月の終わり頃。それからの展開が早かった。
すぐに住む所を探し始めた。特段プロポーズはなかった。
相手もこんなに急に私が結婚まで決めた事は斜め上の出来事だったようだ。

両親に話すと、「出来たら年内に結婚式をやってほしい」と無茶振りされた。その時が七月である。いやいや、準備期間として短すぎるでしょと思っていたら、夫がそれに応えようとしてくれ、十一月に執り行う事が決まった。それからが、私の生活リズムを崩すことになってしまった。


2.準備とパートの両立の限界

塾のパートは相変わらず行っていたが、通う日数を減らしてもらっていたので無理のない範囲で来年三月の受験まで責任を持って頑張ろうとしていた。

しかし九月に結婚し、一緒に暮らす中で毎日三時間位しか眠れなかった。まず夫の通勤先が遠すぎて、六時半に起床しなければならなかったのだ。

それまで夜型の生活を送って、家事も碌にせず好きにやっていた私には大打撃だった。自分のパートの日には作り置きの晩御飯も置いていくという、百八十度変わった生活になった。おまけに自分の母が完璧な主婦だったものだから、作るものも美味しい手の込んだものでなければならないという強迫観念に近いものがあった。
そうして内側からしんどくなっていった私は、軽い躁状態になってしまった。睡眠不足は大敵である。それはしみじみと感じる。
まず夫への口調が荒くなり、知り合いに電話をかけまくる行動に出た。どう対処してよいか分からなかった夫は、両親にも連絡を入れた。躁状態の時は、しんどくて苦しいのに眠る事が出来ない。無理やり睡眠薬を多めにして寝たら、少しずつ楽になっていった。
一旦実家に戻ったが、私はすぐに帰りたかった。だから夫と親の四人で心療内科の先生の所を尋ね、私の進退を問うた。先生はうちの母にも問題があることを即座に見抜き、アイコンタクトで私の方を見てすぐに自宅に帰れるように指示してくれた。
悲しい事に、父が勝手に塾へ電話をかけ、私を辞めさせてしまった。私はまだ頑張りたかったのに、いつも肝心な所で親が出てくる。こんなのはもう嫌だ、と思ったが私には止める術はなかった。

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