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デリカシーのある人間とは

私は自分のことを「無配慮で、無神経な人間」だと思っている。

だからいつもデリカシーのある人間とは?と自分に問いかけている。

ここで、デリカシー(繊細さ)について考えたい。

そもそもデリカシーのある人は、「これをやっては相手に失礼にあたる」ときちんと意識しているんだろうか。

それこそ無意識下の行動なのではないか。

だから、無神経な人間こそ

「自分は無神経だから、気をつけなくてはならない」

という自覚が必要なのではないかという気がしている。

まずは気づくことから。

そもそも、最初からデリカシーのある人間が存在するとは考えにくい。

誰しも、一度は

「これは配慮に欠ける行動、言動をとってしまった」

という経験を経て、少しずつデリカシーのある人間になっていけるのだと思う。

デリカシーのある人間になるためには、経験もまた必要なのだ。

ただ、あまりにも相手のことばかり配慮しすぎると、今度は自分が疲れてくる。

人付き合いが面倒くさくなってしまう。

だから、適度に自分が無理をしない程度に配慮する「さじ加減」が必要になってくる。

そうすると、付き合う人間を選ぶことにも繋がってくるかもしれない。

一緒にいて、

「この人には自分が気配りしすぎて疲れてしまう」

と感じる人とはあまり一緒にいるべきではないだろう。

気配りする理由も、人として当然の常識的な感覚ではなく

「好かれたいから」

という理由だとより自分を取り繕うことになってしまう。

恋は特にそうだ。
友人関係でも、好かれたい人に対して自分の容量を越えた配慮をしてしまうことはないだろうか?

それは、あまりおすすめできない。

結局は「気配りする」感覚が似ていて、自分を無理に大きく見せなくて済む人間と一緒にいることを選択するのが賢明なのではなかろうか。

という結論に至ったが、いかがだっただろうか。

デリカシーって難しい。

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