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不合理で非効率な何かを摂取したい

「また行こな」
そうして新大阪のホームで友だちに別れを告げる。
数秒してからそっと後ろを振り返り、友人が反対側のホームに向かうエスカレーターに乗り込んだことを確認してひと息をつく。
恋人の家は三ノ宮から一駅いったところにある。
新幹線で新神戸まで出てしまえば近いが、値段が安い鈍行で行こうとすると小一時間はかかる。どちらにしても快速急行から普通列車に乗り換える手間がかかる。面倒だ。
このまま自宅に帰る方が近く、楽であることは分かっている。
同性のみで行く旅行の後は、邪な気持ちが肥大化している。

今から家、行っていい?

LINEを送って5分後、既読はつかない。送信取り消しをする。
自宅に帰るか。
改札を通ってInstagramのストーリーをタップする作業に集中する。
周りから見た自分の目に少しでも感情が残っていれば良いと願う。
改札に電車の到着を知らせるおなじみのメロディが流れる。
迫る電車の音、通り過ぎる車体。
かき分けられた風が遅れてやってくる。

どしたん?

扉が開く。車内からどっと人が溢れる。列に並ぶ待合客が次々に吸い込まれていく。流れに身を任すも、途中で列を離れる。
扉が閉まる。電車が去る。先ほどと反対向きに風が吹く。

なんでもないよ、

階段を上ってもう一度改札の外に出る。
新幹線乗り場で残っているチケットの行き先を確認する。

マカロニえんぴつやん。笑

なんでもないよ、はいずれか、どうでもいいよ、に変わる。
諦観と無関心は紙一重ではないだろうか。
今は誰とも喋りたくない。だけども一人にもなりたくない。
楽も、面倒も、全部かなぐり捨てて、どこかへ行ってしまいたい。
友だちとの旅の後、いつもそんなことを考えている。
そんな時でも明日の予定は何もないとか、常に取り返しのつかないことにならないことを確認してから行動している。衝動的に何かをするといったことが出来ない自らの性分がくだらないと思う。
自分の人生に対してさえ、当事者意識で生きられない。
要領が良い。上手く生きてる。頭が良い。
みんな欲しがっている。みんな求めている。
そういった世渡りに特化した能力だけが標準装備されている。
次の日の朝にアルバイトがあるのに朝まで飲んでいるとか、24時間ぶっ続けでゲームしてたとか、端から見たら不合理で非効率。マネしたいとも思えないのに、そんな人間がとても羨ましく思える。

鹿児島中央、きっとここから最も遠い場所。
クレジットで一括払いしてから自由席を購入する。
ホームに上がって既に停車しているがらんどうの車両に乗り込む。
指定席に堂々と座ってみる。気味の悪い爽快感が背筋を走る。

別れよか。

物販でカップの安酒を3本買って全て飲み干す。
積んできた徳をくずして、背いて、眠りにつく。
これでスタイリッシュからアバンギャルドになれるのだろうか。
それとも明日には平謝りして復縁しているのだろうか。


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