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リスペクトが邪魔になる


2023年10月30日(月)朝の6:00になりました。

子曰く、君に事うるに礼を尽せば、人は以て諂いとなすなり。

どうも、高倉大希です。




この人には、敵わない。

そう思う人が、何人かいます。


彼らが発する言葉には、なんだか重みを感じます。

すべての発言に、意味があるような気がします。


だからこそ、いろいろな話を聞きたくなります。

横に座って、質問をぶつけます。


人は頭のいい人の話を聞こうとします。頭のいい人がすすめるものをほしくなります。頭のいい人と認められれば、自分のやりたいことも通りやすくなるのです。

安達裕哉(2023)「頭のいい人が話す前に考えていること」ダイヤモンド社


そんな人の横に座って話を聞く自分は、とてつもなくつまらない人間になります。

一方的に質問をして、返ってくる言葉に感心をするだけでやりとりが完結します。


意図せずに、イエスマンになってしまうというわけです。

べつに、気を遣って同調しているわけではありません。


相手のことをリスペクトしすぎているがゆえに、イエスと言ってしまうのです。

そんな人と話したところで、相手もつまらないだろうなと思います。


そこから吉本さんのご自宅をしばしば訪ね、いわば門前の小僧のように話を聞きに行くようになりました。仰ぎ見るような「師」ではなく、「近所にいる、宝物のような普通のおじさん」として、話を聞いていたんです。

糸井重里、古賀史健(2018)「古賀史健がまとめた糸井重里のこと」ほぼ日


だからできるだけ人とは、ファンとして相対したくはありません。

ファンとして出会ってしまったら、リスペクトが邪魔になってしまいます。


ちょっとだけ生意気な若者が、先輩に可愛がられていることがよくあります。

あれとおなじです。


何から何まで同調してくる相手と話しても、まったくおもしろくありません。

意図してリスペクトを抑えることも、ときには必要になってくるのです。


本当に大事なのは成功者のメッセージを聞くことではないんじゃないかという気がしているんですね。じゃあ、なにが大事なのか。ぼくがもっと大事だなと思うのは「うまくいくかどうかまったくわからない。むしろたぶん失敗するという中でも、とりあえず無理やり足を踏み出してしまう意味不明な勇気というものをどうもつか」ということじゃないかと思うんです。

令和4年度バンタン卒業式」成田悠輔さんの祝辞より


一般的にすごいと言われている人と話すときほど、ここに注意を払います。

「ファンです」だなんて言われても、相手はどうしようもないのです。


彼も人なり、我も人なり。

相手も自分も、所詮はおなじ人間です。


我なんぞ彼を畏れんや。

必要以上に畏れる人ほど、つまらないものはありません。






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