運転は嫌なことなのか?
2023年10月25日(水)朝の6:00になりました。
フルスピードで走るのが俺の人生だった。だから、お前と俺は兄弟だった。
どうも、高倉大希です。
車を運転することが、好きです。
車を運転していると、どこにだって行けるような気がします。
ハンドルの遊びが、好きです。
腕の動きをタイヤへと、ゆるやかに伝えてくれます。
ブレーキの微調整が、好きです。
停止の仕方に、運転手のこだわりが表れます。
好きだからこそ、車にまつわるものごとに違和感を抱くことが多々あります。
たとえば、「運転してくれてありがとう」という言葉。
もちろん、言わんとしていることはわかります。
運転手は行動が制限されるので、ほかの席の人よりかは不自由です。
ただ、それと同時に「運転はそんなに嫌なことなのか?」とも思います。
嫌なことを請け負っているつもりは、これっぽっちもありません。
運転手が眠たくならないように、助手席に座った人は喋らなければならない。
この暗黙の了解も、ずっと妙だなと思っています。
楽しくおしゃべりをする分には、まったく問題ありません。
ところが、それが義務になってしまうと、話はすこし変わってきます。
気を遣って喋られると、むしろこちらが気を遣います。
運転が、たのしくなくなってしまいます。
せっかく遠くに行こうとしているのです。
車内を「どこにも逃げられない場所」に仕立て上げてはなりません。
助手席で黙っていたって、かまいません。
助手席で眠っていたって、かまいません。
あなたが思っているよりも、ずっと遠くに行けるのよ。
感謝なんてしなくてよいので、いっしょに遠くへ行きましょう。
サポートしたあなたには幸せが訪れます。