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運転は嫌なことなのか?


2023年10月25日(水)朝の6:00になりました。

フルスピードで走るのが俺の人生だった。だから、お前と俺は兄弟だった。

どうも、高倉大希です。




車を運転することが、好きです。

車を運転していると、どこにだって行けるような気がします。


ハンドルの遊びが、好きです。

腕の動きをタイヤへと、ゆるやかに伝えてくれます。


ブレーキの微調整が、好きです。

停止の仕方に、運転手のこだわりが表れます。


スーパーマリオのBダッシュの場合、難しい場面では歩けばよい…….ただそれだけでよいのですね。そういった意味で、プレイヤーはBダッシュするかしないかを裁量することで、同時にゲームの難易度そのものすら裁量しているといえます。プレイヤーによる難易度調整。実はこれ、成長には欠かせない要素です。

玉城真一郎(2019)『「ついやってしまう」体験のつくりかた」ダイヤモンド社


好きだからこそ、車にまつわるものごとに違和感を抱くことが多々あります。

たとえば、「運転してくれてありがとう」という言葉。


もちろん、言わんとしていることはわかります。

運転手は行動が制限されるので、ほかの席の人よりかは不自由です。


ただ、それと同時に「運転はそんなに嫌なことなのか?」とも思います。

嫌なことを請け負っているつもりは、これっぽっちもありません。


恩義の感情が未来に及ぶことは日本語の「ありがとう」を表すフレーズ、「すみません」によく現れています。「すみません」というのは文字通りに読むと、「これでは終わりません」という意味になります。

ロバート・B・チャルディーニ(2021)「影響力の武器」誠信書房


運転手が眠たくならないように、助手席に座った人は喋らなければならない。

この暗黙の了解も、ずっと妙だなと思っています。


楽しくおしゃべりをする分には、まったく問題ありません。

ところが、それが義務になってしまうと、話はすこし変わってきます。


気を遣って喋られると、むしろこちらが気を遣います。

運転が、たのしくなくなってしまいます。


どれだけ理解し合っているはずの相手であれ、どれだけ愛している相手であれ、他人の心をそっくり覗き込むなんて、それはできない相談です。そんなことを求めても、自分がつらくなるだけです。しかしそれが自分自身の心であれば、努力さえすれば、努力しただけしっかり覗き込むことはできるはずです。

村上春樹(2014)『女のいない男たち』文芸春秋


せっかく遠くに行こうとしているのです。

車内を「どこにも逃げられない場所」に仕立て上げてはなりません。


助手席で黙っていたって、かまいません。

助手席で眠っていたって、かまいません。


あなたが思っているよりも、ずっと遠くに行けるのよ。

感謝なんてしなくてよいので、いっしょに遠くへ行きましょう。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。