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フラットに考えることの難しさ
2024年5月14日(火)朝の6:00になりました。
多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。
どうも、高倉大希です。
フラットに考える。
これほどまでに、言うは易く行うは難しなことはありません。
もはや何かを考えている時点で、フラットではないと思った方がよいくらいです。
このような思考の偏りを、バイアスといいます。
語源は、「傾斜」を意味するフランス語の「biais」です。
「先入観」や「思い込み」と、訳されることがほとんどです。
人間はいつも、何も考えずに物事をパターン化し、それをすべてに当てはめてしまうものだ。しかも無意識にやってしまう。偏見があるかどうかや、意識が高いかどうかは関係ない。
インターネットの情報は信憑性に欠けるから、新聞を読みなさい。
子どものころ、先生からこんなことを言われました。
両方とも人が書いているのに、どうして違いがあるのだろう。
子どもながらに、不思議に思った記憶があります。
インターネットも新聞も、そもそもの目的が違うじゃないか。
そんな事実に気がついたのは、大人になってからのことでした。
事実を作者のイメージから切り離して論じられるわけがないのです。事実——ファクトという言葉はもともと「つくられたもの」という意味ですからね。つくるのは誰かと言えばそれにふれた人間でしょう。
椅子があれば、わたしたちはその上に座ります。
その上に立ったってかまわないのに、わたしたちは座ります。
椅子の足を逆さまにして、輪投げをはじめたってかまいません。
それにも関わらず、わたしたちは椅子の上に座ります。
言い方を変えるならば、椅子に座らされているわけです。
この時点で、どう考えてもフラットではありません。
「収入が高くて困っている」とか「自分の異性が好きなんだけど、どうしよう」と悩む人がいてもよさそうなのに、見当たらないのはどうしてでしょうか?それは僕たちが生きる社会には無数の「当たり前」があり、そこから外れる人が悩んでいるのです。
べつに、椅子に座るなと言っているわけではありません。
座るためにつくられたわけですから、座ることは当然です。
重要なのは、知らぬ間にさまざまなものの影響を受けているということです。
当たり前だと思っていることの多くは、外からの影響によって形成されています。
そんな当たり前を、疑うことが大切です。
それと同じくらいに、そんな当たり前を認知しながら謳歌することも大切です。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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