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フラットに考えることの難しさ


2024年5月14日(火)朝の6:00になりました。

多くの人たちは、見たいと欲する現実しか見ていない。

どうも、高倉大希です。




フラットに考える。

これほどまでに、言うは易く行うは難しなことはありません。


もはや何かを考えている時点で、フラットではないと思った方がよいくらいです。

このような思考の偏りを、バイアスといいます。


語源は、「傾斜」を意味するフランス語の「biais」です。

「先入観」や「思い込み」と、訳されることがほとんどです。


人間はいつも、何も考えずに物事をパターン化し、それをすべてに当てはめてしまうものだ。しかも無意識にやってしまう。偏見があるかどうかや、意識が高いかどうかは関係ない。

ハンス・ロスリング(2019)「FACTFULNESS」日経BP


インターネットの情報は信憑性に欠けるから、新聞を読みなさい。

子どものころ、先生からこんなことを言われました。


両方とも人が書いているのに、どうして違いがあるのだろう。

子どもながらに、不思議に思った記憶があります。


インターネットも新聞も、そもそもの目的が違うじゃないか。

そんな事実に気がついたのは、大人になってからのことでした。


事実を作者のイメージから切り離して論じられるわけがないのです。事実——ファクトという言葉はもともと「つくられたもの」という意味ですからね。つくるのは誰かと言えばそれにふれた人間でしょう。

吉本隆明 、江藤淳(2017)「吉本隆明 江藤淳 全対話」中央公論新社


椅子があれば、わたしたちはその上に座ります。

その上に立ったってかまわないのに、わたしたちは座ります。


椅子の足を逆さまにして、輪投げをはじめたってかまいません。

それにも関わらず、わたしたちは椅子の上に座ります。


言い方を変えるならば、椅子に座らされているわけです。

この時点で、どう考えてもフラットではありません。


「収入が高くて困っている」とか「自分の異性が好きなんだけど、どうしよう」と悩む人がいてもよさそうなのに、見当たらないのはどうしてでしょうか?それは僕たちが生きる社会には無数の「当たり前」があり、そこから外れる人が悩んでいるのです。

深井龍之介(2022)「歴史思考」ダイヤモンド社


べつに、椅子に座るなと言っているわけではありません。

座るためにつくられたわけですから、座ることは当然です。


重要なのは、知らぬ間にさまざまなものの影響を受けているということです。

当たり前だと思っていることの多くは、外からの影響によって形成されています。


そんな当たり前を、疑うことが大切です。

それと同じくらいに、そんな当たり前を認知しながら謳歌することも大切です。






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