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書き手は自分、読み手も自分


2023年8月16日(水)朝の6:00になりました。

書くことは、たったひとりのベンチャー起業。

どうも、高倉大希です。




大事なところが太字になっていたり、はじめからマーカーが引かれていたり。

最近、このような本が増えたような気がしています。

要点が捉えやすくてありがたい一方で、読み手として信用されていない証拠でもあるなと思います。


太字にしておかないと、読み飛ばされてしまうのではないか。

マーカーを引いておかないと、伝わらないのではないか。

書き手に、そう思わせてしまっているわけです。


読み手は分析や論理思考についてほとんど訓練を受けていないので、たとえ自分の会社のことがテーマであっても、あなたの理解とはかなりかけ離れたものであることが考えられます。あなたと読み手は、あなたの考えを理解するという点で決して同等レベルにはいないのです。

バーバラ・ミント(1999)「考える技術・書く技術」ダイヤモンド社


書き手がどこまで歩み寄り、読み手がどこまで汲み取るのか。

レイアウトから見える時代の潮流があります。


もちろん、その文章の目的によっても変わります。

わかりやすさを重視するべき文章もあるでしょう。 


ただ書籍という形式においては、太字くらい、マーカーくらい、自分で判断するから結構です。

自信をもって、こう言える読み手でありたいものです。


「いや......自分に声をかけるって、どうやって?」
「書くのさ」おじさんは微笑んだ。
「書くってね、自分と対話することなんだよ」

古賀史健(2023)「さみしい夜にはペンを持て」ポプラ社


そんなことを考えながら、過去の自分の文章を読み返してみると、かきがっこを多用していることに気がつきました。

キーワードとなる特定の単語を、かぎかっこで括っていたり。

そのときの心象を、かぎかっこで括っていたり。


いずれにせよ、かぎかっこをつかって必死に強調しているわけです。

結局は、かぎかっこも、太字やマーカーとおなじです。


深夜、暗い部屋で腰の痛みに耐えながらキーボードを打って、自分で書いたものに自分で少し笑う、それが「書く人」の生活である。

田中泰延(2019)「読みたいことを、書けばいい。」ダイヤモンド社


自分が書いた文章の、ひとりめの読み手は自分です。

読み手を信用することは、自分を信用することです。


書き手は自分、読み手も自分。

過去の文章を読みながら、もうすこし自分を信用してもよいかもなと思いました。






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