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酒を飲まなきゃ話せないことなんて


2024年7月30日(火)朝の6:00になりました。

酒は、文明に対するひとつの諷刺である。

どうも、高倉大希です。




酒の場は、比較的好きな方です。

普段は話さない人と、話す理由になりえるからです。


逆に言えば、これはデメリットでもあります。

酒の場以外が、話したいことを話せない場になり変わってしまうからです。


実際に「この話は酒の場じゃないと」だなんて、言い回しをよく耳にします。

酒の場のせいで、飲まなきゃ話せないという線が自ずと引かれてしまうのです。


休み時間には遊んでよい、というきまりをつくってしまったことに端を発している。それ以来、学ぶ(勉強する)ときは遊ばないし、遊ぶ時は、勉強から解放される、ということで、遊びと学びは真っ二つにわかれてしまった。

孫泰蔵(2023)「冒険の書 AI時代のアンラーニング」日経BP


友だちを、たくさんつくりましょう。

それを是として扱うことで、友だちが少ないことが非になってしまいます。


みんなと、仲よく過ごしましょう。

それを是として扱うことで、みんなと対立することが非になってしまいます。


べつに、そんなつもりがなかったとしてもです。

Aを是にするということは、その裏にあるBを非にするということなのです。


集団主義社会では、集団の内部にとどまっている限り安心して暮らすことができます。しかしそのような安心を生み出す集団主義的な行動原理は、実は、集団の枠を越えて人々を広く結びつけるのに必要な一般的信頼を育成するための土壌を破壊してしまう可能性があります。

山岸俊男(1999)「安心社会から信頼社会へ」中央公論新社


ものごとを始めるのは、簡単です。

新しい動きには、勢いがつきものだからです。


ところが、続いてきたものをやめるのには、なかなかの勇気がいります。

「これまではあったのに」という人々の不満を、受け止めなければなりません。


大抵やめる決断をするころには、始めたころと担当者が変わっています。

続けてもしんどい、やめてもしんどいという、不遇に追い込まれてしまうのです。


変えるのは難しいんですよ。苦しくなるばかりで。だから「変わる必要なんかない」と言ってあげるんです。ただ、言動についてはしなければいけないことはあります。それは「いいことは続け、だめなことはやめる」。それだけです。

工藤勇一、鴻上尚史(2022)「学校ってなんだ!日本の教育はなぜ息苦しいのか」講談社


べつに、これまでの事例がすべて悪だと言いたいわけではありません。

対岸にあるものを、よく見据えなければならないという話です。


目の前のものだけだと、案外それらしく見えるものです。

酒の場がどれだけ楽しくても、翌日には二日酔いがやってきます。


酒を飲まなきゃ話せないことなんて、本当はありません。

話が先、酒が後です。






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