見出し画像

孤独は前提だぜ


2024年7月27日(土)朝の6:00になりました。

孤独な人はあまりに深く苦しんだために、笑いを発明しなくてはならなかったのだ。

どうも、高倉大希です。




名前を授かったその瞬間から、わたしたちは孤独になります。

名前とは、他のものとの差異によって付けられるものだからです。


リンゴとゴリラに差異がなければ、わざわざ別の名前で呼ぶ必要がありません。

両方リンゴ、もしくは両方ゴリラと呼んでしまえば、こと足りるというわけです。


どうも、高倉大希です。

名前を名乗ったその瞬間から、わたしたちは孤独になります。


私たちは、苗字は変わることはあっても、名前は一生同じです。(中略)人に名前をつけるのは、そうしなければ社会の中で自己を扱えないからです。その意味で名前とは、固定した自己と言えるでしょう。

養老孟司(2023)「ものがわかるということ」祥伝社


孤独から逃れたければ、名前を捨てなければなりません。

単体の生命体を目指して、人類補完計画を推進せねばなりません。


もしかすると、それがひとつの理想なのかもしれません。

しかし、目の前にはなかなかそういうわけにもいかない現実が広がっています。


月並みな表現ですが、人生は孤独との闘いです。

生きていく限り、どうせ孤独なのです。


大人であるということは、孤独に耐えられることだ、ともいえるし、色々な人と共に連帯してゆけることだ、ということもできる。

河合隼雄(2014)「大人になることのむずかしさ」岩波書店


「孤独」は、前提なのだ。

「ひとりぼっち」は、当たり前の人間の姿である。


2000年11月16日に投稿された、ほぼ日刊イトイ新聞 のコラムの一節です。

もとを辿れば、谷川俊太郎さんの言葉なのだそうです。


そうか、孤独は前提か。

この言葉に出会えたことで、ずいぶんと心が軽くなりました。


ぼくは、ひとりの時間を持たない人は、どこか嘘があると思う。できれば、ひとりの時間を持っている人や、それを経験してきた人と付き合っていたいんです。

糸井重里、古賀史健(2018)「古賀史健がまとめた糸井重里のこと」ほぼ日


パートナーがいないとか、結婚していないとか。

言わずもがなですが、そういう話ではありません。


ひとりの人間としてそこに存在する覚悟、という意味での孤独です。

ときには図太くどっしりと、そこに存在してやるのだという覚悟です。


孤独を前提だと捉えられれば、きっと他者の孤独にも寛容になれるはずです。

名前とは、そこに存在してもよいのだという証です。






サポートしたあなたには幸せが訪れます。