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カメラを向けられた時点で不自然になる


2023年10月28日(土)朝の6:00になりました。

不自然でもかまわぬ、明るい光を添えて見ろ。

どうも、高倉大希です。




カメラを向けられることが苦手です。

流れつづけていたはずの時間が、急に止められてしまいます。


みんなで並んで、固まります。

レンズに向かって、ピースをします。


普段の生活で、ピースをすることなんてありません。

それなのに、カメラの前では何も考えずに二本の指を立てるのです。


わたしたちは不合理なだけでなく、「予想どおりに不合理」だ。つまり、不合理性はいつも同じように起こり、何度も繰り返される。消費者であれ、実業家であれ、政策立案者であれ、わたしたちがいかに予想どおりに不合理かを知ることは、よりよい決断をしたり、生活を改善したりするための出発点になる。

ダン・アリエリー(2013)「予想どおりに不合理」早川書房


もはや、カメラにピースをさせられているといっても過言ではありません。

ベルを鳴らすと唾液を出す、だれかの犬とおなじです。


カメラを向けられた時点で、どうしても不自然になってしまうのです。

ピースをしないぞと意気込んでも、その意気込みがまた不自然です。


ドキュメンタリー番組や、恋愛リアリティーショーもおなじです。

みんなががんばって、ピースをしないように意気込んでいるというわけです。


力が抜けて姿勢が維持できている状態を私たちは「自然体」と呼んでいる。ただ力を抜けば簡単にできそうなものだが、経験を積み技術を高めなければ自然体には到達できない。

為末大(2023)「熟達論」新潮社


なにも、不自然であることがダメだと言っているわけではありません。

ただ単純に、不自然になってしまうものだよねという話です。


自然を装うドキュメンタリーを、ほんとうの自然だと思い込んではなりません。

あれは自然を装った不自然を、作品として楽しむものです。


つくり手も視聴者も、お互いが不自然であることを前提とする。

そこではじめて、つくられた自然を楽しむことができるようになります。


エンターテイメントの役割は「人を幸せにする」のではなく「幸せになろうとする人の手助けをする」ということだと僕は考えています。

小林賢太郎(2014)「僕がコントや演劇のために考えていること」幻冬舎


逆に言えば、不自然になるからこそおもしろいというところもあります。

人に限らず風景も、カメラを向けられるとなんだか不自然な顔をします。


観測しただけで模様が変わる、二重スリット実験とおなじです。

観測には必ず、相互作用がはたらきます。


だから、できるだけカメラを向けないでください。

ピースをしなければならなくなります。






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