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カメラを向けられた時点で不自然になる
2023年10月28日(土)朝の6:00になりました。
不自然でもかまわぬ、明るい光を添えて見ろ。
どうも、高倉大希です。
カメラを向けられることが苦手です。
流れつづけていたはずの時間が、急に止められてしまいます。
みんなで並んで、固まります。
レンズに向かって、ピースをします。
普段の生活で、ピースをすることなんてありません。
それなのに、カメラの前では何も考えずに二本の指を立てるのです。
わたしたちは不合理なだけでなく、「予想どおりに不合理」だ。つまり、不合理性はいつも同じように起こり、何度も繰り返される。消費者であれ、実業家であれ、政策立案者であれ、わたしたちがいかに予想どおりに不合理かを知ることは、よりよい決断をしたり、生活を改善したりするための出発点になる。
もはや、カメラにピースをさせられているといっても過言ではありません。
ベルを鳴らすと唾液を出す、だれかの犬とおなじです。
カメラを向けられた時点で、どうしても不自然になってしまうのです。
ピースをしないぞと意気込んでも、その意気込みがまた不自然です。
ドキュメンタリー番組や、恋愛リアリティーショーもおなじです。
みんなががんばって、ピースをしないように意気込んでいるというわけです。
力が抜けて姿勢が維持できている状態を私たちは「自然体」と呼んでいる。ただ力を抜けば簡単にできそうなものだが、経験を積み技術を高めなければ自然体には到達できない。
なにも、不自然であることがダメだと言っているわけではありません。
ただ単純に、不自然になってしまうものだよねという話です。
自然を装うドキュメンタリーを、ほんとうの自然だと思い込んではなりません。
あれは自然を装った不自然を、作品として楽しむものです。
つくり手も視聴者も、お互いが不自然であることを前提とする。
そこではじめて、つくられた自然を楽しむことができるようになります。
エンターテイメントの役割は「人を幸せにする」のではなく「幸せになろうとする人の手助けをする」ということだと僕は考えています。
逆に言えば、不自然になるからこそおもしろいというところもあります。
人に限らず風景も、カメラを向けられるとなんだか不自然な顔をします。
観測しただけで模様が変わる、二重スリット実験とおなじです。
観測には必ず、相互作用がはたらきます。
だから、できるだけカメラを向けないでください。
ピースをしなければならなくなります。
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— 高倉大希|インク (@firesign_ink) January 1, 2023
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