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原因が近くにあるとは限らない


2023年11月29日(水)朝の6:00になりました。

近すぎて見えないだれか、誤ってぼくと呼ぶ。

どうも、高倉大希です。




「靴下を脱ぎっぱなしにしないでって、いつも言ってるじゃん」

奥さんは、こう言います。


「靴下を脱ぎっぱなしにしたくらいで、そんなに怒らなくてもいいじゃん」

旦那さんは、こう言います。


靴下は、あくまでもトリガーです。

奥さんが怒っている根本的な原因は、きっと靴下ではありません。


彼が僕にしつこく干渉していた理由は、同じ直樹という名前だったからだと、事後処理をする大人達の会話で知った。先生が僕のことを、「直樹」と呼ぶのを聞いて、自分の名前を奪われると不安になったのかも知れない。その後、彼に怯えることはなくなった。僕を嫌う理由が分かったからだ。

又吉直樹(2023)「月と散文」KADOKAWA


「この料理、ちょっと量が多いな(まずいからこんなにもいらないな)」

お客さんがこう言います。


「お客さんのご要望にお応えして、つぎからは量を減らします」

店の主人はこう言います。


量は、あくまでもトリガーです。

お客さんが多いと言っている根本的な原因は、量の問題ではありません。


危険なのは、フレームワークにこだわるあまり、目の前のイシューを無理やりそのフレームにはめ込んで本質的なポイントを見失ってしまう、あるいは自分なりの洞察や視点を生かせなくなってしまうことだ。冒頭にも書いた「カナヅチをもっていればすべてのものがクギに見える」という状況になってしまっては本末転倒であり、このような状態になるくらいならフレームワークなど知らないほうがよい。

安宅和人(2018)「イシューよりはじめよ」英治出版


原因を見誤ると、当然つぎの打ち手もズレます。

そのまま解決したつもりになってしまうと、むしろ問題が長引きます。


たしかに、行動することは大切です。

ただし、迂闊に解決策を決め込んではなりません。


必ずしも、原因が近くにあるとは限りません。

つながっていないように見えるところに、原因がみつかることもよくあります。


なぜ、偉大な研究者はかくも研究分野を変えることになるのだろうか?その理由について私なりに考えてみたのだが、おそらくそれは、めざしているところが高いからだと思う。視座の高さは、視野の広さにつながる。つまり、はたから見ていると研究分野を変えているように思えても、当人からするときわめて自然な流れとしてうつっている可能性が高いのだ。

石川善樹(2019)「問い続ける力」筑摩書房


いまの自分には見えていないところに、原因があるかもしれない。

いやむしろ、見えていないところにある可能性の方が高い。


これが、いわゆる「想像力」です。

目に見えている範囲なんて、せいぜい限られています。


靴下を洗濯機に入れたからといって、解決するわけではありません。

料理の量を減らしたからといって、解決するわけでもありません。






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